黒人男性が警官に銃撃された米中西部ウィスコンシン州ケノーシャ。そのすぐそばの大都市ミルウォーキーで、亡き夫が長年、警官として働いていた私の知人スージー(60代)が、涙ながらに話してくれたことを、今回はこの連載で伝えたいと思う。
涙が止まらなかった...被害者母の言葉
スージーは、ケノーシャで銃撃された黒人男性ジェイコブ・ブレイクさん(29)の母親ジュリア・ジャクソンさんの訴えに、強く胸を打たれたという。
事件後にケノーシャで暴力や暴動が起きたことについて、ジャクソンさんは、「とても心を痛め、正直、嫌悪感を抱いている」、「自分はこの国の癒しのために、ずっと祈り続けてきた」と話した。
また、警官による黒人への差別と暴力を「政治的な問題にしていては、何も変わらない。(民主党と共和党が)互いに拳を振りかざして相手を叩き、怒りをコントロールせずにいたら、間違った方向に進んでしまう」と憂い、「心と愛と知性をもって、ともに手を取り合いましょう」と訴えた。
ジャクソンさんの言葉は、党派を超えて多くのアメリカ人の共感を呼んだ。これについては、この連載の前回の記事「黒人男性銃撃、党派超えて共感呼んだ『母親の願い』」で詳しく取り上げている。
息子が警官に銃撃され、下半身不随になったにも関わらず、「すべての警官と家族のために祈っている」というジャクソンさんの言葉を聞きながら、スージーは涙が止まらなかったという。
「なんて慈悲深くて、寛大な人なのだろうと思ったわ。警官は、銃を撃つ以外に方法がないの? それほど恐怖を感じているの? 私にはとても理解できない。警察の廃止にはもちろん反対だけれど、警察の改革は絶対に必要だわ。敵と闘う軍隊のようにふる舞うのではなく、もっと市民の支えとなるべき。ジョージ・フロイドの首を抑え続けて息の根を止めた警官なんか、ユニフォームを身につけた殺人者だわ」
私にそう話しながら、スージーはまた泣いていた。
しかし、「安全と地域の秩序を守ろうとしている警官たちが、ひとまとめに悪者扱いされるのは耐えられない」という。
「All lives matter.』とは言えない理由
スージーの亡き夫も、「自分の手で人命を守りたい」という高い志で警官になった。
彼女は最近よく、夫のことを思い出す。ソファで隣にすわって一緒に、相次ぐ事件のおぞましい動画を見ていたら、夫は何を思うだろうか、と。
「きっと、かなり動揺するに違いないわ」
スージーは、ソーシャルメディアで警官を支持するいくつかのグループに参加しているという。そして、中央に細く青い横線の入った白黒の米国旗(Thin Blue Line Flag)を持っている。これは警察などの法執行機関の職員への支持を表す旗で、殉職した警官への追悼の意もある。
「あの旗を家の前に掲げたいと思うけれど、勇気がないの。心ない人に卵をぶつけられたり、非難されたりするかと思うと。
若い黒人男性が次々に警官に殺されている現実が人目にさらされ、『Black lives matter.(黒人の命を軽んじるな)』と盛んに叫ばれる今、『All lives matter.(すべての命を軽んじるな)』とは言えない。
それは、例えばあなたが私に『夫が急死したの』と言った時に、「大丈夫よ。すぐに立ち直るわ。私だって夫を亡くしたのよ』と言っているようなもの。自分の痛みを語ることで、相手の痛みをはねつけてしまう。それはしてはいけないことだと思う。
すべての命に価値があることは、誰もがわかっている。だから、今は『Black lives matter.』以外のことは言わずに、黙っている時なのでしょう」
スージーは青い横線入りの国旗を、そっとタンスの引き出しに忍ばせている。
トランプ大統領は9月1日、混乱が続くケノーシャを視察の目的で訪れる予定だ。クリスチャンのスージーは、「トランプ氏の訪問が緊張を高め、事態を悪化させることがないように」と祈っている。
++ 岡田光世プロフィール
おかだ・みつよ 作家・エッセイスト
東京都出身。青山学院大卒、ニューヨーク大学大学院修士号取得。日本の大手新聞社のアメリカ現地紙記者を経て、日本と米国を行き来しながら、米国市民の日常と哀歓を描いている。米中西部で暮らした経験もある。文春文庫のエッセイ「ニューヨークの魔法」シリーズは2007年の第1弾から累計40万部。2019年5月9日刊行のシリーズ第9弾「ニューヨークの魔法は終わらない」で、シリーズが完結。著書はほかに「アメリカの家族」「ニューヨーク日本人教育事情」(ともに岩波新書)などがある。