新型コロナウイルスの感染拡大以降、インターネット上で数多くのデマや誤情報、うわさ、陰謀論が飛び交った。SNS上では連日のように間違いを指摘する「もぐら叩き」が行われ、冷静な判断が求められた。
誤った情報を発信してしまった人には、因果応報とばかりに非難が向かった。「ネット私刑」が横行し、個人情報が晒されて勤務先が謝罪する事態も起きた。うのみにしてしまった人も「情弱(情報弱者)」などと揶揄(やゆ)され、情報リテラシーの重要性が叫ばれた。
当事者はどんな思いで発信にいたったのか。あらためて話を聞くと、一方的に断罪できない事情が見えてきた。デマ・流言を研究する京都大・佐藤卓己教授は「あらゆる情報に真面目に向き合いましょうなんて、人間であることをやめろといっているのと同義」だといい、リテラシーの概念を変えるべきと説く。
間違ってないのに...誤解招き「不正確」認定
「私が書いた内容に事実じゃないことはありません」――。新型コロナの注意喚起のために自らの経験を共有した18歳の女性が「ファクトチェック」の対象となった。
ツイッターで今年4月、「コロナ検査経験者ですが検査はすごく苦しいです。あの写真の状態で綿棒を10回ぐらい回します。そして同じことを口にもします。インフル検査より10倍は苦しいです。綿棒の長さも2倍です。涙も出たし鼻血も出ました。だからこんなことされたくないなら黙って自粛しろ」と検査時のイメージ画像を添付してツイートした。
情報源は、自身が母国・韓国で受けたPCR検査。辛かったエピソードを伝えることで、不要不急の外出自粛を促したかった。投稿はフォロワー以外にも爆発的に拡散され、「貴重な情報ありがとうございます」「今よりももっと自粛します」と好意的な反応の一方、「デマ」とみなされ誹謗中傷も受けたという。
ファクトチェックサイトでも「PCR検査の綿棒の長さ 『インフルエンザ用の2倍』との情報は不正確」との見出しで取り上げられた。ツイートについて「PCR検査を受けた時の苦しい経験から、検査の自粛を呼びかけている」「検査について必要以上に恐怖を煽る内容となっている」と解説し、「新型コロナウイルス検査に使う綿棒の長さは、インフルエンザ検査の場合と同じ程度か、長くてもインフルエンザ検査の際の2倍以上ということはない」などと誤りを正した。
しかし当人に見解を問うと、間違った情報は流していないと断言する。「検査の自粛ではなく外出の自粛であり、症状が出たときには必ず検査を受けてくださいというツイートも上げてました。検査する時には人による違いはあると思いますが、私が書いた内容に事実じゃないことはありません」「(インフルエンザの検査で使う長い綿棒ではなく)普通の綿棒の2倍はあったと思います」
女性が言うように、「このツイート見て自粛してくれればいいけどもし症状出ても検査が怖くて隠してる人がいるか心配。死ぬよりはマシなので症状が出たらすぐに保健所に連絡しましょう」とも投稿していた。
ファクトチェックサイトにこの反論を伝えると、記事は撤回された。ただし、誤解してしまった人も一定数いたのは事実。140字というツイートの文字数制限内で、正確な情報発信をする難しさがうかがえる。
もっとも、この女性にとってツイッターは興味のあるテーマや日常について気ままに書き込む場だ。今回のケースは主観での「つぶやき」が客観的事実として大きく広がった。コロナ禍では発信者の意図と受け手の解釈に齟齬(そご)が生じ、「デマ」と糾弾される事例は少なくなかった。
よかれと思い...危険を伝えたくて
「投稿当時はどこを調べても具体的な予防策が書いていませんでした。テレビにしても、インフルエンザと同じ予防法で大丈夫というようなことを言ってましたが、調べれば調べるほど怖くなってきた」
一方で、新型コロナの危険性を知らしめるために「情報を誇張してしまった」人もいる。
20代の男性は1月、ツイッターに「新型コロナウイルスの危険度と予防とコロナウイルスにかかった時の対策をまとめました。日本の医者は専門では無いので対策方法が間違っています。この画像は自由に使ってください」と、4枚の画像とともにツイートした。
男性によれば、情報源は書籍やネット、公的機関の情報、友人の医師の話など。SARS(重症急性呼吸器症候群)の予防策を中心に30時間ほどかけて情報収集し、画像にまとめた。1枚は、感染症に詳しい医師が作成した「新型コロナウイルスの広がりやすさ」を図示した画像を転載している。
男性の作成した画像には「N95のマスクが無い人は外出を控える」「(感染対策は)イソジンでのうがい必須」「人工的なウイルスの可能性が高い」などと書かれていたが、ネットメディアのファクトチェックで「誤りやミスリードを多く含む」と評価された。
男性に当時を振り返ってもらった。ツイートのきっかけは、新型コロナに対する世間と自身の認識に大きなギャップを感じていたためだ。
「当時はコロナが危ないよと身内や友人に言っても、笑われるくらい楽観視されていました。それが日本全体の意識でした。そこを底上げして対策への意識を高める必要があるなと感じていました。身内をコロナで失いたくなかったし、友達の家族も失いたくなかった。もしコロナで亡くなってしまっていたら行動しなかったことを後悔すると思いました」
「誤りやミスリードを多く含む」との指摘は本人も認めており、反省している。世間の危機意識を高めてほしいがために一部の情報を誇張してしまった。
画像は、新たな情報がわかったり、明らかな誤りだと気づいたら適宜更新するつもりだった。実際、画像の修正版をアップしたが、元の投稿が想定以上にリツイートされ、訂正はほとんど広まらなかった。その後、謝罪した上で投稿を削除した。
医師を名乗るユーザーからは「証明されてない事を無意味に広めるのは情報発信ではありません(中略)情報発信をするならば、事実確認を行うのが基本で、発信者にはその責任があります。そのほうが周りの人もあなたを信用してくれますよ」ととがめられ、男性は「おっしゃる通りかと思います。反省し修正に努めます。本当に申し訳ございませんでした。ありがとうございます」と返信していた。
人間の限度を超えた情報量、「まじめに向き合う必要は?」
2つの事例に共通するのは、コロナという「未知」の脅威に対し、ツイートのわかりやすさに多くの注目が集まったことだ。ツイッターは発信、拡散のいずれも「手軽に」できてしまう特性がある。発信者が日記のつもりで書いたものが、受け手にとってメディアの記事以上に影響力をもってしまうことがある。
『流言のメディア史』などの著書がある佐藤卓己教授(メディア史)は、不安や不満が募り、パニックに陥りやすい今だからこそ、受け取った情報の正誤を即断するのはやめるよう警鐘を鳴らす。
「情報が乏しい時代であれば、我々が批判的分析にエネルギーをかける情報は少ないが、これだけ情報過多な時代に一つ一つの情報に向き合えというのは人間の能力を超えているわけで、あらゆる情報に真面目に向き合いましょうなんて、人間であることをやめろといっているのと同義。その意味でも、情報のリテラシーというのは情報に耐える力でしかない」
「情報リテラシーというのは、情報を疑う力だと普通は教えるが、疑うというだけでは、はやみくもに疑うことになりかねないし、逆に言えば正しい情報源すら疑うということにもなる。だとすれば、マスゴミ批判というのはリテラシー教育の成果の一つだと言ってもよいだろう。そうではなくて、情報に耐える力、より実践的に言えば、判断を最大限先延ばしに出来る力、即断せずに考え続ける心の余裕が重要だ。その意味ではウイルスへの耐性と同じで、コロナ禍ではあいまいな情報に対する社会の心理的な耐性が問われている」
(J-CASTニュース編集部 谷本陵)
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