人間の限度を超えた情報量、「まじめに向き合う必要は?」
2つの事例に共通するのは、コロナという「未知」の脅威に対し、ツイートのわかりやすさに多くの注目が集まったことだ。ツイッターは発信、拡散のいずれも「手軽に」できてしまう特性がある。発信者が日記のつもりで書いたものが、受け手にとってメディアの記事以上に影響力をもってしまうことがある。
『流言のメディア史』などの著書がある佐藤卓己教授(メディア史)は、不安や不満が募り、パニックに陥りやすい今だからこそ、受け取った情報の正誤を即断するのはやめるよう警鐘を鳴らす。
「情報が乏しい時代であれば、我々が批判的分析にエネルギーをかける情報は少ないが、これだけ情報過多な時代に一つ一つの情報に向き合えというのは人間の能力を超えているわけで、あらゆる情報に真面目に向き合いましょうなんて、人間であることをやめろといっているのと同義。その意味でも、情報のリテラシーというのは情報に耐える力でしかない」
「情報リテラシーというのは、情報を疑う力だと普通は教えるが、疑うというだけでは、はやみくもに疑うことになりかねないし、逆に言えば正しい情報源すら疑うということにもなる。だとすれば、マスゴミ批判というのはリテラシー教育の成果の一つだと言ってもよいだろう。そうではなくて、情報に耐える力、より実践的に言えば、判断を最大限先延ばしに出来る力、即断せずに考え続ける心の余裕が重要だ。その意味ではウイルスへの耐性と同じで、コロナ禍ではあいまいな情報に対する社会の心理的な耐性が問われている」
(J-CASTニュース編集部 谷本陵)
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