関東大震災は近代日本史の方向を初めて明確に示すかたちになったと言い得る。どういう意味かというと、目に見える形の変化を余儀なくさせた。同時に、目に見えない変化(人心の変化といってもいいのだが)を促した。
それが現実に目に見える形になるのは、5年、10年先のことであった。ちょうど大正デモクラシーの教科書を基に社会常識のフレームを学んだ世代が、実は昭和の戦争時の価値観に最も強い違和感を持ったとも言える。今回は、この関東大震災が近代史のどのような部分に影響を与えたのか、考えてみたいと思う。
有限の世界に生きていることを実感させられた人々
関東大震災はあえて3点を浮き彫りにしたといっていいだろう。その3点とは以下のような展開である。箇条書きにする。
(1)形あるものは壊れる。人工的建造物は永久不変ではない。
(2)閉鎖集団に不確実な噂を入れると自己増殖を始め、異様な行動をとる。
(3)国民の精神、思想に対する天譴論(編注:てんけん、天罰のこと)という考えが登場した。
この3点をより具体的に見ていくと、近代日本の地肌が浮き彫りになってくる。(1)についていうなら、作家の田山花袋、佐藤春夫、正宗白鳥などが、今回の地震で私たちはある現実を理解しなければならないと書いている。人類の文化、文明などは天変地異であっけなく崩壊する、そのことを知っておかなければならないといったエッセイや短い原稿を書いている。これは確かに当時の人々の心理を代弁していて、震災の恐怖を率直に語っている。有限の世界に私たちは生きている、そのことを改めて実感しなければならないという意味であった。