外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(19)アベノミクスの今と、資本主義の行方

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ITは起爆剤になりうるのか

   20世紀後半から、次代の産業の中心はITだといわれてきた。最初の資本家である商人は、遠くの町に行って人より早く仕入れ、それを売りさばくことで利益を得た。それ以来、資本主義は「より速く、より遠くへ、より合理的に」をモットーに効率性を求め、消費者には利便性を提供してきた。そのためのツールとして、「次世代のイノベーションの起爆剤」という期待を担って登場したのがITだった。

   だが、ITは電気や車の発明と比べ、人類を飛躍的に向上させる技術なのだろうか。水野さんはコロナ禍が問題になる前の昨年、新聞で読んだ米国の経済学者ロバート・ゴードンのインタビューが忘れられない、という。「長期停滞論」を唱え、「もはや輝かしい過去の再現はあり得ない」というゴードンは、次のように語った(2019年6月6日付け朝日新聞電子版)。

「エジソンが電灯を発明したのは1879年ですが、第2次世界大戦前には米都市部のほぼ全世帯に電気が届きます。製造業の動力も蒸気機関から電気に代わり、経済の効率が劇的に上がりました。電灯とほぼ同時期に発明されたエンジンが、自動車や航空機を動かすようにもなりました。こうした発明を土台に、1970年までの半世紀は、毎年ほぼ3%のペースで生産性が伸び続けました」

   ゴードンはそのころまでに、ほとんどの発明は出尽くし、今後はかつての電気や車に匹敵する新たな技術は生まれないだろうという。たしかにデジタル化で暮らしは便利になり、娯楽や通信の世界は格段に便利に、豊かになった。だが、それは暮らしに必須のものなのか。そう自問してゴードンはいう。

「ビル・ゲイツが生み出したものは偉大だが、電気には及ばない。どの発明も一度限りですが、重要度には大きな差があります。屋内トイレや空調のない世界か、スマホのない世界か選べと迫られれば、みんなスマホを諦めるのではないですか」

   水野さんは、このインタビューを読んで、かつて證券会社に勤めていた当時を思い出した。携帯電話のない時代、地方に出張に行けば先輩や同僚に食事に誘われ、しばし仕事を忘れることができた。だが携帯電話を持たされると、地方に行っても仕事に追われ、電子メールが普及するようになると、その夜のうちに宿泊先のホテルで報告書を書くことを命じられるようになった。

「そのころから、プライベートの場に仕事が忍び寄るようになった。ITは日本ではもっぱら労働強化に使われ、人はますます不自由になっているのではないでしょうか。このうえ、政権がいうように『ワーケーション』という働き方が導入されたら、まったく余暇はなくなってしまう」

   ケインズは1936年の「雇用・利子および貨幣の一般理論」やその他の論文で、2030年には、「人間の創造以来初めて、資本を増やさなければならない、という状況から解放される」と予見した。水野さんは言う。

「資本を増やすには、節約をして、貯蓄と投資をしなければならない。そうしたことから人類は初めて解放されるだろう、とケインズは言った。資本を増やす必要がない、ということは、ある意味ではゼロ金利の時代ということだろう。実は、そうした社会は、今日の日独でもすでに実現している」

   だがケインズの主張の力点は、経済上の逼迫から解放されて、それをいかに利用するのか、ということにあった。

「経済上の逼迫とは、資本不足のことで、具体的には、資本不足で供給力が足りず、食べるものも、着るものも、住宅もない、死んでしまうかもしれないという状況です。この状況から解放されて、人間は真に恒久的な問題を考えなくてはならない。それは、余暇を賢明で快適で裕福な生活のために、どのように使えばよいのか、ということだ。ケインズはそう問題提起したのだと思う」

   コロナ禍以前、政府の働き方改革は、依然として「生産性向上」を目指していた。「より速く、より遠くへ、より合理的に働け」という考え方だ。

「ケインズは、将来は、労働時間を3分の1程度に減らせると予見し、浮いた時間をどう充実させるかを考えるのが、課題だといった。そして、ゼロ金利時代になっても貨幣愛に捕らわれ、働け働けという人がいたら、病院にでも行った方がいい、とまで言っている。コロナ禍後の私たちが目指すべきなのは、成長至上主義と決別し、『よりゆっくり、より近く』へと価値観を切り替えることなのだと思います」

   水野さんは、「資本の誕生以来、その蓄積には不正すれすれの行為もあったはず』だと指摘してこう言う。

   イギリスの資本家第一号は海賊のドレークだし、イタリアのメディチ家はギャングの家系である。資本の過剰を示唆しているゼロ金利が実現した日本では、ようやく1930年にケインズがいった「少なくとも100年間、自分自身に対しても、どの人に対しても、公平なものは不正であり、不正なものは公平であると偽らなければならない。」と姿勢を続ける必要がもはやなくなった。

「これまでは人類が偽ってきたのは、『不正なものは有用であり、公平なものは有用でないから』だとケインズはいう。同じことをシェイクスピアも『マクベス』で3人の魔女に『きれいは汚い、汚いはきれい』という有名なセリフで言わせている。資本の蓄積には不正も働くが、国民生活の向上につながるなら有用だから大目にみよう。しかし、資本が過剰になれば、ケインズは『不正は不正』とみなすべきだと主張していた。だから、『財産としての貨幣愛は半ば犯罪であり半ば病理的な性癖』とまで言った。内部留保金の一部は負債としての性質をもっているにもかかわらず、資本の部の計上しているのは不正ではないが、信義則違反だろう。現在の日本は、賃下げをしてまで資本を蓄積する必要はないはずです」

   水野さんの厳しい指摘は、経営者にとっては耳に痛く響くだろう。だが、コロナ禍という、経験をしたことのない大きなうねりを前にして、惰性で運航したり、自動操舵に身を任せることは、もうできない。その真摯な諫言を、「アフター・コロナ」に目指すべき指針と受け止めるべきではないだろうか。

   エコノミストお二人の話をうかがって、まったく違う体験、思考経路をたどりながらも、今あるシステムの限界を確信し、来るべき社会へのビジョンを模索する点で、お二人は同じ地平に立っていると感じた。

ジャーナリスト外岡秀俊




●外岡秀俊プロフィール
そとおか・ひでとし ジャーナリスト、北大公共政策大学院(HOPS)公共政策学研究センター上席研究員
1953年生まれ。東京大学法学部在学中に石川啄木をテーマにした『北帰行』(河出書房新社)で文藝賞を受賞。77年、朝日新聞社に入社、ニューヨーク特派員、編集委員、ヨーロッパ総局長などを経て、東京本社編集局長。同社を退職後は震災報道と沖縄報道を主な守備範囲として取材・執筆活動を展開。『地震と社会』『アジアへ』『傍観者からの手紙』(ともにみすず書房)『3・11複合被災』(岩波新書)、『震災と原発 国家の過ち』(朝日新書)などのジャーナリストとしての著書のほかに、中原清一郎のペンネームで小説『カノン』『人の昏れ方』(ともに河出書房新社)なども発表している。

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