テレビの世界を飛び出した理由 めざす「メディア」の形は
2007年にテレビの世界に入り、TBSの「報道特集」や「上田晋也のサタデージャーナル」などの報道番組や情報番組で長くディレクターをしてきた佐治さん。ディレクターが提案した企画を毎回時間をかけて出演者やスタッフらと議論し、「面白いね」と方向性が決まればチームで協力して取材を進め、動画や番組をつくり、そして視聴者からの大きな反響――そんな仕事に、やり甲斐を感じてきた。
しかし、次第に報道番組でも、企画のテーマや切り口より、視聴率が評価される雰囲気が強まってきたと感じるようになった。逆に高視聴率が期待できる、放送前に起きた事件・事故などの「発生もの」やインパクトのある映像が使える企画が優先されることが増えた。また、じっくり取材して編集した動画を放送できる長い企画の枠がなくなったり、そもそもそうした企画枠がある番組自体も少なくなってきた。違和感を感じ始めていたところ、「サタデージャーナル」が19年6月に打ち切りになったことをきっかけに、転身を本格的に考えるようになった。そして20年3月、所属していた制作会社を辞め、CLPに専念することにした。
「TBSだけでなく、NHKや他の民放でも、報道番組なのに似たようなつくり、テーマのものばかりで、多様性が乏しくなっている。社会問題や政治に関する大切なニュースが放送されずどんどんこぼれ落ちていく状況に忸怩たる思いを抱いていました。このままだと、やる気のある若手ディレクターが育っていける場所がなくなってしまう、テレビが痩せ細ってしまう、それなら私がそういう場をつくろうと決意しました」
佐治さんは20年7月に母体となる法人を設立。クラウドファンディングで集めた資金で今後は取材や編集に加わるスタッフや出演者にも謝礼を支払いたいという。徐々に制作本数や配信数を増やすともに、再生回数や広告収入などに左右されず、いずれは市民がスポンサーになって寄付をもらう形で安定的に存続するメディアに発展させたいと夢見ている。
そして、既存のテレビ局と競い合うのではなく、協業することも期待している。
「テレビの発信力、影響力はやはり大きいです。私たちの問題意識に賛同してもらい、番組に10分の枠をいただけるなら、喜んでコラボレーションしたいです」