「国産原爆」開発に挑んだ研究者たち 太陽の子・モチーフの「F研究」秘史

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被曝調査と、枕崎台風で犠牲になった研究者

   1945年8月6日に広島に「リトルボーイ」が投下されると、この被害調査にF研究の研究者も従事した。荒勝教授ら京都帝大のチームは8月10日に広島入りし、被爆後の土壌からサンプルを採取、放射線を測定してウラン235を使用した原爆が使われたと報告書「広島被爆地土壌等調査結果及ビ判定ノ概要」で推定している。

   京都帝大からの調査団はこれを含めて3回に渡り派遣され、9月に第3次調査団が広島入りし調査にあたっていたが、9月17日に上陸した枕崎台風による山津波が宿舎を直撃、11人の教員・大学院生らが犠牲になった。死者11人の名を刻んだ「京都大学原爆災害総合研究調査班遭難記念碑」が広島県廿日市市に建てられている。犠牲になった理学研究科大学院生の1人、花谷暉一の遺族が寄贈した建物が京大構内にあり、2016年まで京大生協が入居していた。

   花谷暉一も戦時中は荒勝研究室に所属しており、彼が測定したウラン核分裂に関するデータは軍とも共有されていた。「太陽の子」で柳楽さんが演じる石村修のような若い学生が、戦後も原爆調査に携わりながら災害で命を絶たれた歴史があった。戦災のみならず、戦後混乱期の災害も当時の社会に爪痕を残していたのである。

(J-CASTニュース編集部 大宮高史)

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