外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(17)哲学者・高橋哲哉さんと考える 歴史認識と「犠牲のシステム」

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哲学者・高橋哲哉さんに聞く

   この問題をどう考えたらよいのか。8月9日、東大大学院総合文化研究科教授の高橋哲哉さんにZOOMでインタビューをした。

   高橋さんがまず指摘したのは、こうした植民地支配や奴隷制度、人種差別などの歴史問題が、決して過去の蒸し返しではなく、すぐれて今日的な問題だ、という点だ。

「第2次大戦後、まず大きな問題になったのは、ナチスによるユダヤ人虐殺、ショアー(ホロコースト)の問題でした。ハンナ・アーレントは、政治という活動の結果、取り返しのつかない傷が生じた場合、その救済策として『赦し』の役割を強調したが、全体主義の犯罪は『赦すことも罰することもできない悪』と認めざるをえなかった。その後、ショアーの裁きと赦しの問題は、当時の西ドイツで1960年代には、『ナチスの犯罪に時効を適用できるか』という『時効論争』を引き起こし、1980年代には、『ナチスの犯罪は、他のジェノサイドと同列に論じてよいのか』という『歴史家論争』を巻き起こした。冷戦が終わり、グローバル化が進むにつれ、1990年代になって、集団的な暴力の『傷』や『赦し』、『和解』といった歴史をめぐるテーマも一挙にグローバル化したのです」

   つまり、歴史問題は戦後、伏流水のように連綿と続いてきたが、世界中で顕在化したのはごく最近という指摘だ。

   高橋さんがその例として挙げるのは、2001年の8月末から9月にかけて、南アフリカのダーバンで開かれた国連の「反人種主義・差別撤廃世界会議」(ダーバン会議)だ。ここでは奴隷制や植民地主義が正面から取り上げられ、今後は戦後に発展した国際人道法をベースに、あらゆる差別を撤廃するという基本原則を「宣言」で確認し、200項目以上の「行動計画」を採択した。

   今回のコロナ禍で、東アジアは比較的感染者数、死者数が少ないが、欧米諸国などで圧倒的に多い。しかも米国では黒人など社会的・経済的に弱い立場に置かれたマイノリティ、ブラジルではスラム街や人口密集地に住む貧困層や先住民に被害が多く出ている。

「権力や富が集中している階層では被害が少なく、歴史的に差別された地域や階層が脅威にさらされている。その怒りや不満が、米国ではBLM運動となって噴出し、欧州にも波及した背景ではないか」

   高橋さんは、欧州に波及した一例として、6月30日に、ベルギーのフィリップ国王がコンゴ民主共和国のチセケディ大統領に宛てた「謝罪」の書簡を挙げる。ベルギーはかつてレオポルド二世がコンゴを「私有地」化して欧米列強で最も過酷な支配をした時期を含め、75年にわたってコンゴを植民地支配してきた。フィリップ国王は、そうした植民地支配でコンゴを傷つけたことについて、「今なお私たちの集団的な記憶に重くのしかかっている」と述べ、過去の傷に「最も深い遺憾の意」を表明し、「我々の社会に今なお存在する、あらゆる人種差別主義と闘っていく」という決意を述べた。高橋さんは言う。

「こうした動きを見ていると、近代以降のグローバル化によって生じた植民地支配や民族間の衝突や紛争について、根本から問い直そうという動きが起きていると思う」

   そうした動きの背景として、高橋さんは、今回のコロナ禍で、従来の「人間と自然」のバランスが急速に崩れる事態を突きつけられたことが大きい、と指摘する。

「開発などで未踏の地に人間が入り、未知のウイルスに感染する。近代以降の人の営みが地球温暖化で自然や環境に変化をもたらしたように、これまで自明とされてきた自然の『無限の資源』を前提とした経済成長や豊かさが限界に近づいた。そうした大きなバランスの変化を突きつけられ、人間と人間との関係が築いた『歴史』を問い直さなければ、人類の連帯に将来はない、と気づき始めたのではないか」
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