「日航ジャンボ機事故」直後の「人事」暗闘 消えた「社長候補」...中曽根文書から読み解く
2020.08.12 06:00
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1985年8月12日に起きた日航ジャンボ機事故は、単独機の事故としては世界で最も多い520人が犠牲になった。2日後の8月14日には、日本航空(JAL)の高木養根(やすもと)社長が辞意を表明した(写真:Fujifotos/アフロ)
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中曾根康弘元首相が国立国会図書館に寄託した資料の中には「情報簿」と題したファイルもある。その中には、政治家の発言を記した大量の取材メモがとじ込まれている