「日航ジャンボ機事故」直後の「人事」暗闘 消えた「社長候補」...中曽根文書から読み解く

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伊藤氏に固辞されて「どうしょうもなくなって山地に来たんだと思うよ」

   さらに、「その翌日、つまり人事の前日」には「山下は金丸さんに私のせっとくをたのんだらしい」。後藤田氏と自民党の金丸信幹事長が、ある結婚式で同席した際、こんなやり取りがあったという。

金丸: 後藤田さん、あんたが日航人事でイチャモンつけてるそうだが本当か。山地の社長就任でいいだろう。
後藤田: 何もじゃまするなんていってない。何もせんだけだ。
金丸: 何もしないんじゃなくて大いに推進してくれよ。
後藤田: それはダメだ。私個人はあくまで早計なんだから。

   後藤田氏の見立てとしては、中曽根氏の意中の人は伊藤氏だったが、固辞されて追い詰められ、「役人はいかん」という持論を曲げてでも山地氏をトップに据えざるを得なくなった、ということのようだ。

「いずれにせよ、これが紛れもない事実だ。私が山地を推したとか何とか黒幕だなんてとんでもない。中ソ根もやはり例の民間人(伊藤)を社長に、と思ってたんだろう。どうしょうもなくなって山地に来たんだと思うよ」

   山地氏は85年12月に正式に社長に就任。ジャンボ機事故の対応や完全民営化に携わり、90年5月まで務めた。現社長の赤坂祐二氏は、事故当時は東大大学院で航空工学を学んでいた。入社は2年後の87年だ。社長就任直後に行われた2018年の入社式の訓示で、

「私が日本航空に入社した最大の動機は、あのような悲惨な事故を二度と起こさないよう自分の力を尽くしたいと考えたことにあり、その思いは今も全く変わらない」

などと述べている。

(J-CASTニュース編集部 工藤博司)

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