「日航ジャンボ機事故」直後の「人事」暗闘 消えた「社長候補」...中曽根文書から読み解く

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後藤田正晴氏が「完全オフレコ」「持ち回り禁止」メモで明かした内幕

   後藤田氏とみられる人物は、山地氏が社長に決まるまでの内幕を、特に詳細に明かしている。「11/7 後藤田」のメモで、「完全オフレコ」「持ち回り禁止」の注意書きがある。

   山地氏は運輸省出身で、後に総理府に転じ、総務副長官を経て84年に新設された総務庁の事務次官に就任。85年5月に退職し、常勤顧問としてJALに移籍したという経緯がある。当時の後藤田氏は初代総務庁長官で、山地氏の上司にあたる。曰く「私は山地の処遇についてはいろいろ気を配っていた」。早い段階からJAL側は山地氏を迎え入れる考えだったが、後藤田氏としては、いきなりの首脳としての起用には慎重だったようだ。

「その(編注:総務庁事務次官就任の)時にすでに日航に行く話があったが待ってもらった訳だ。次官の定年は60歳。山地はことし5月12日にそれを迎えたが、任期途中の定年は、その年度を終るまでつとめることになってる。この山地の誕生日後、まず、高木日航社長が私のところに来て『とにかく山地をくれ』という。山下運輸大臣も相前後に『山地をくれ』といってきた。そこで私は『本人の意向次第だ』と答えておいた訳だ」

「いずれにせよ私は山地のためも考えて、仮に副社長から社長になるにしてもいったん日航に入って社内を掌握してからだと考えていた。それには半年から1年はかかるんだから、のっけから責任あるポストは本人のためにならんと思っていた。日航人事についての中ソ根の考え方は本人から直接聞いたんじゃないが今までのやり方からみて私は十分わかっているつもりだ。それは要するに役人はいかん、ということだ。民間を使えということ。行カク人事もみてみろ。すべてそうやってるよ。日航についても首相は社長には民間人、町田なんかじゃダメと思ってたと思う」

   後藤田氏の話からも、人事が直前まで流動的だったことが分かる。「人事が表沙汰になる2日前」の段階で、山下運輸相から山地氏の社長起用に協力するように求める電話があったことを明かしている。

「人事が表沙汰になる2日前のことだったと思う。山下が私のところにtelしてきて『山地をどうしても社長にくれ。実はある民間人/その名前は私には決していわなかったし私も聞かなかった/を社長にと思ってたが拒否された。利光は運輸省がダメだ。何か後藤田さんは「山地は副社長ならいいが社長はダメだ」といって百計してるというじゃないか。何とか曲げて協力してほしい』という。そこで私は『山地を社長にというのは早計だよ。しかし私は人事権に関与すべきじゃない。総理と山下さんの間でどうしても山地にというなら、私はそれにあえて総ム庁長官としては邪魔はせん。しかし後藤田正晴個人としては早計だということは総理にもいっておいてくれ』といった。山下は『どうもありがとうございます。それだけでいいんだ』といってtelを切った」
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