外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(16)メディアの報道に今、必要なこととは

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「社会的距離」とは何か

   その後もメディアはテレビ、インターネット、SNSへと進化を続け、「距離」の壁ばかりか、「時間」の壁を越える社会が実現した。

   新聞は、誰かが宅配で自宅や職場に届け、読者がそれを回し読みするという「距離」の特性を残したメディアだ。デジタル化が進むにつれ、購読者や広告が減っていくと、新聞社はデジタル化に力を入れ、「距離をなくす」ことに力を入れた。だが、それは正しい道だったのだろうか。

   コロナ禍によって、突如として「社会的距離」「物理的距離」の復活が叫ばれるようになった。感染の不安に鋭敏な人々は配達される新聞に不安を感じたり、回し読みすることを避けたりするようになった。これは、紙という物理的特性に依拠する新聞にとっては、ある意味で深刻な脅威だ。この先は、ZOOMなどを使ったテレ会議、テレ取材に移行する機会も増えるだろう。だが、「距離感」を残すメディアとしての新聞は、さらに「距離」をなくす方向に進むべきなのだろうか。

   そうではない、と佐藤さんは言う。

   最近佐藤さんは、地域振興政策の担当者から、「コロナ後の観光の在り方」について意見を聞かれた。これまでの文化政策は、京都に残る文化資産や昔ながらの景観を映像に撮り、ネットで発信して観光客を呼び込むというように、ここでも「距離なくす」ことに主眼を置いてきた。

   「しかし、京文化は、天皇が御簾の陰で言葉を発したり、公家が扇子で口元を覆いながら話すなど、まさに『距離』を置いて、身分や権威を再認する装置だった。『社会的距離」が叫ばれるいまは、そうした伝統的な『距離』に基づく文化を見直し、『距離』の意味を問い直すことも必要ではないか」と佐藤さんは助言したという。フェイスブックやツイッターで情報を発信し、誰にでも親しまれる観光を目指すのではなく、「距離」を超えるには手間暇がかかるが、そこに行けば本物に会える、という価値観を据えてはどうか、というアドバイスだ。

   佐藤さんは、新聞というメディアについても、同じことが言えるだろうという。

「『社会的距離』が叫ばれる時代に、『距離をなくす』というデジタル化の文化を推し進めることがいいのか、新聞は考えるべき時期に来ていると思う。すぐには検索できない。だが、政権や官僚との『距離』を保ち、流行から一歩離れた長期的な視点や価値観を問う。新型コロナウイルスは国境を超えるが、感染対策はむしろ国境を閉ざし、新たなナショナリズムの勃興をもたらすのかもしれない。そうした新たな問題に着目し、議論を深めることが、『コロナ後』の新聞、「距離なき時代の距離のメディア」の役割ではないでしょうか」

   小手先の対応よりも、文明史や世界観の軸をもってコロナ禍に向き合うこと。佐藤さんの話をうかがって、その大切さを実感した。

ジャーナリスト 外岡秀俊




●外岡秀俊プロフィール
そとおか・ひでとし ジャーナリスト、北大公共政策大学院(HOPS)公共政策学研究センター上席研究員
1953年生まれ。東京大学法学部在学中に石川啄木をテーマにした『北帰行』(河出書房新社)で文藝賞を受賞。77年、朝日新聞社に入社、ニューヨーク特派員、編集委員、ヨーロッパ総局長などを経て、東京本社編集局長。同社を退職後は震災報道と沖縄報道を主な守備範囲として取材・執筆活動を展開。『地震と社会』『アジアへ』『傍観者からの手紙』(ともにみすず書房)『3・11複合被災』(岩波新書)、『震災と原発 国家の過ち』(朝日新書)などのジャーナリストとしての著書のほかに、中原清一郎のペンネームで小説『カノン』『人の昏れ方』(ともに河出書房新社)なども発表している。

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