南彰・新聞労連中央執行委員長に聞く
8月2日、新聞労連の中央執行委員長を務める南彰さん(41)に、ZOOMで話をうかがった。南さんに話を聞いてみたいと思ったのは、コロナ禍の渦中で起きた「賭けマージャン」問題をきっかけに、7月10日、南さんら発起人6人が呼びかけて「ジャーナリズムの信頼回復のための提言」を出したからだ。この声明には、現役の若手、女性記者も多く賛同人に名を連ね、メディアの現状に、働き手がいかに危機意識を抱いているかが、うかがわれる。
「賭けマージャン」問題とは言うまでもなく、東京高検の黒川弘務検事長が、緊急事態宣言が出ている5月初旬、産経新聞記者と次長、朝日新聞社員の計4人で賭けマージャンをしていたという問題だ。週刊文春が5月29日に報じて発覚し、黒川氏の処遇をめぐって国会に提出していた検察庁法改正案の成立を政府が断念し、黒川検事長は辞任した。
産経は6月16日、関係者の処分を発表すると共に、弁護士を含めた「社内調査」の結果を紙面で報告した。それによれば産経新聞の次長と記者は、5年ほど前にマージャンの場で朝日新聞社員と知り合い、3年ほど前から月に2、3回、固定したメンバーで、卓を囲むようになった。2年前の9月に記者が卓を購入し、その自宅に集まるようになった。緊急事態宣言下では7回、同じメンバーで集まり、少なくとも4回は夕方から翌未明まで、現金を賭けてマージャンをしたという。
同紙は、外出自粛を呼びかけていた新聞社の記者がこうした行為をとったことを「不適切」と判断し、「新聞記者の取材」に対する読者の信頼感を損ねることを認めた。さらに、取材対象への「肉薄」は、「社会的、法的に許容されない方法では認められず、その行動自体が取材、報道の正当性や信頼性を損ねる」と、反省点を明確にした。
他方の朝日は6月20日付朝刊で、「私たちの報道倫理再点検します」という文章を載せたが、詳しい経過報告はしなかった。同紙は、報道の公正性や独立性に疑念を生じさせたことをおわびし、記者行動基準の見直しを宣言した。だが、社員の「不適切な行為」のどの点を、なぜ問題だと判断したのかは明確ではない。
今回の提言は、「賭けマージャン」は産経、朝日だけの問題ではなく、日本のすべてのメディア組織の職業文化の根幹を問うものだ、として、次のような慣行を挙げる。
取材対象と親密な関係になることは「よくぞ食い込んだ」と評価され、記者会見という公開の場での質問よりも、情報源を匿名にして報じる「オフレコ取材」が重視されている。
発表予定の情報を他社より半日早く報道する「前打ち」記事が評価され、逆に他社報道 に遅れを取れば「特落ち」という烙印を押される。
そして、「賭けマージャン」は、オフレコ取材での関係構築を重視するあまり、公人を甘やかし、情報公開の責任追及を怠ってきた結果だ、と自己批判する。また、こうしたことは、メディア不信を招く官邸記者会見の質問制限問題、財務事務次官による取材中の記者へのセクハ問題に通じる、日本のメディアの取材慣行や評価システムに深く根ざした問題だという。
こうした前提のもとで、具体的に示したのが、次の6つの提言だ。
1報道機関は権力と一線を画し、一丸となって、あらゆる公的機関にさらなる情報公開の徹底を求めるべきである。記者会見など、公の場で責任ある発言をするよう求め、公文書の保存と公開の徹底化を図るよう要請するべきだ。市民やフリーランス記者に開かれ、外部によって検証可能な報道を増やすべく、組織の壁を超えて改善を目指すべきである。
2報道機関は、社会からの信頼を取り戻すため、取材・編集手法に関する報道倫理のガイドラインを制定し、公開する。
3報道機関は、社会から真に要請されているジャーナリズムの実現のために、当局取材に集中している現状の人員配置、およびその他取材全般に関わるリソースの配分を見直すべきだ。
4記者は、取材源を匿名にする場合は、匿名使用の必要性について上記ガイドラインを参照する。とくに、権力者を安易に匿名化する一方、立場の弱い市民らには実名を求めるような二重基準は認められないことに十分留意する。
5現在批判されている取材慣行は、長時間労働の常態化につながっている。この労働環境は、日本人男性中心の均質的な企業文化から生まれ、女性をはじめ多様な立場の人たちの活躍を妨げてきた。こうした反省の上に立ち、報道機関はもとより、メディア産業全体が、様々な属性や経歴の人を起用し、多様性ある言論・表現空間の実現を目指す。
6これらの施策について、過去の報道の検証も踏まえた記者教育ならびに多様性を尊重する倫理研修を強化すると共に、読者・視聴者や外部識者との意見交換の場を増やすこと によって報道機関の説明取材源責任を果たす。
この「提言」が、これまでの批判と異なるのは、賭けマージャンの根源には、「取材源と親密になってオフレコで情報を取る」という慣行が長く続き、それが記者会見など公の情報公開の形骸化を招いていることを、率直に認めていることだろう。また、取材源も取材側も男性優位の均質集団を形成しており、それが形を変えて女性記者へのセクハラとなっていることも指摘する。
少なくとも、「賭けマージャン」問題の本質に、率直に向き合った声明のように思える。