外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(16)メディアの報道に今、必要なこととは

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取材源への「密着」度合をどうするか

   澤さんが長年気になっていたのは、日本の記者が持ち場のことを役所名で呼ぶ慣行だ。

   「教育」ではなく、「文科省担当」と呼び、福祉や労働問題ではなく、「厚労省担当」と呼ぶのが普通だ。

   欧米では、バイラインの記者の肩書として「健康担当」とか「消費者担当」あるいは「法律担当」というように、扱うテーマを書くことが多い。

   これは単なる呼称の問題ではない。記者は、担当する役所のカバーをしっかりすることを優先させ、役所の情報を報じているのか、福祉衛生の問題を報じているのか、わからなくなりがちだ。

「役所の情報をいち早く取ることで競い合えば、当局目線になり、世の中の不安や心配、恐怖、関心からずれてしまう。そうしたニーズに応えるより、自分が役所から知り得た情報を優先させる結果になってしまう恐れがある」

   そうした長年の慣行が続けば、役所への「密着」が、「癒着」の弊害を招くこともある。もちろん、これは日本に限ったことではない。「虎穴に入らずんば虎子を得ず」という密着取材は、米国では一部の有力な報道機関が「インナーサークル」という「内輪」の親密なグループを形成し、表に出ない当局の情報を「特報」するという形で表れる。「だが、そこには狎れ合いではなく、一線を画する職業倫理があるようにも思う」と澤さんは言う。

   澤さんは、2016年、アメリカ調査報道記者編集者協会(IRE)の大会に出席した。これは4日間にわたり、約200の講座で、記者が1800人の記者を相手に取材の手口やノウハウを教える大会だ。その時に、連邦捜査局(FBI)担当のニューヨーク・タイムズ記者から聞いた言葉が忘れられない、という。

「ネタ元とはお茶を飲み、食事をし、飲みにも行く。だが、正しい報道をするために、ソース(取材源)を失うことを恐れない」

   もちろん、きれい事ばかりではないだろう。しかし「建前」にせよ、そう断言するだけの職業倫理があるのだと感じたという。

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