外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(16)メディアの報道に今、必要なこととは

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澤康臣専修大教授に聞く

   その方とは、2020年4月から専修大教授(新聞学)になった澤康臣(さわ・やすおみ)さん(53)だ。8月1日、澤さんにZOOMで話をうかがった。

   共同通信の社会部、外信部、ニューヨーク支局などを経て特別報道室で調査報道を担い、2006~07年には英オックスフォード大ロイタージャーナリズム研究所の客員研究員も務めた。今も共同通信客員編集委員の肩書をもつ。

   2016年4月4日、世界の100を超える報道機関が一斉に、タックスヘイブンのパナマで、匿名法人の設立を代行する大手法律事務所「モセック・フォンセカ」からの流出文書の内容を報じ、かかわった政治家や著名人の名が明るみに出た。この「パナマ文書」を報じたのは、世界各国の調査報道記者が作る「国際調査報道ジャーナリスト連合」(ICIJ)と、各国の協力メディアが連携した400人近い記者の集まりだった。その連合プロジェクトに、共同通信から参加したのが澤さんだった。つまり、国内の調査報道だけでなく、国際報道でも各国の記者と連携協力した経験があり、国際スクープの舞台裏を描いた「グローバル・ジャーナリズム」(2017年、岩波新書)という著書もある。世界で同時進行するコロナ禍をどう報じるべきか、ぜひとも話を伺ってみたい、と思った。

   現場取材から研究教育の場に拠点を移したこの4月は、まさにコロナ禍が広がる時期に重なった。「ジャーナリズムの実務と倫理」というテーマで、担当するゼミも、できるだけ「現場」を踏んで「現場」から考える内容にしたかったが、今は講義もオンラインに移行し、思うに任せない日々が続いている。しかし、講義の途中でもどんどん学生がチャットで感想を書き込む機能を使うと、「SNSで記者が叩かれるのが悔しい」とか、「裏取りをして取材する大切さがわかった」などの反応が寄せられ、普通の講義よりもライブ感があふれることに気づいた。

「ふだんは発言したいと思っても、こんなことを言えば笑われるのでは、という恐怖感が勝って、何も言わないのかもしれない。オンラインにも、優れた点があると気づいた」

   コロナ禍報道について質問すると、澤さんは、各国の記者10数人が集まって1年間にわたり、ジャーナリズムとメディアの「現在地」について研究し、語り合ったロイタージャーナリズム研究所の体験談から語り始めた。司法クラブのサブキャップを終えた直後に渡英したが、外国のジャーナリストとの違いを強く意識させられたという。

「日本では長時間労働が当たり前で、前打ち報道に命を懸ける。外国の記者は、やるときはやるが、普段の労働時間は短い。見出しの次にバイライン(署名)が来るから、個人の仕事であることに誇りを持っている。加盟紙が、配信した共同通信の社名すら使わないこともある日本とは大きな違いだと感じた」

   会社員にはすべて当てはまるのかもしれないが、日本のジャーナリストもまた、同じ会社に属して勤めあげることが多い。組織への帰属意識が強く、身の処し方にもサラリーマンの側面が出やすい。会社を渡り歩くことの多い外国のジャーナリストは、社内の会議も少なく、飲食も他社や異業種の人と共にすることが多い。

   もう一つ、外国の記者と語り合って強く感じたのは、災害や事件事故報道で、日本の記者は数字の確認に極めてシリアスで、訂正を恐れるという点だ。外国の記者はhundreds of thousands(数十万)という表現も平気で使うが、日本では公的機関が確認した厳密な数字しか使えない。

「今回のコロナ報道にも言えるが、間違えずに正確な数字を報道するということに、ものすごいエネルギーを使い、創意工夫をする余力がない。いま何が大切で、それをどう伝えれば読者に届くのか。新たな試みをしようとしても、失敗したり、叩かれたりするのではないか、と恐れる。自分の反省をこめていえば、その結果、既成メディアの報道が総じて横並びになり、読者や視聴者のニーズに応えていないということが起きていると思う」

   ネットとスマホの普及で、情報の出所や入手経路は既存メディアからSNSに大きくシフトした。SNSは人によって、関心を持つ対象によって、入手したり発信したりする情報は千差万別だ。そうした多様化したニーズを既成メディアが拾い上げる回路が細い。

   その点では、刻々と視聴率が出るテレビの情報番組の方が、ニーズを探り当てることに長けている。だがそれはダブルエッジ、諸刃の剣だ。人気のある流れに掉さし、本来問題にすべきテーマよりも、その時点での人々の関心に沿って番組を制作することにもなりかねない。

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