外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(15)日米地位協定の死角 在沖米軍に見る感染拡大の実態

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住民の生命を軽んじる米軍や日本政府の体質は変わらず

   沖縄での感染が連日のように1日最多を更新している7月28日夜、琉球大名誉教授の比屋根照夫さんに電話で話をうかがった。沖縄近現代思想史の泰斗である比屋根さんは、私が沖縄取材を始めた1995年以来、一貫して私の師匠である。在沖米軍基地コロナ禍について、比屋根さんはこう話す。

   「ローテーションで在沖基地に配備される米兵は、直接嘉手納などに入り、日本側の検疫も受けない。コロナ禍で、こうしたシステムが破綻の危機に瀕し、基地の存続そのものが危ぶまれている。狭い沖縄で、基地の内と外で異なるシステムを当てはめ、沖縄に押し付けるやり方自体が限界にきている。基地の内と外を分断することによって、コロナ禍の問題そのものが隠され、感染拡大防止策が取れない、という異常事態だ」

   それでは、県は政府や米軍に何を要求すればよいのか。

   「コロナ禍を誘発する基地は閉鎖し、基地の外に住む軍人・軍属は基地内に戻す。部隊の基地間移動を禁止して、基地の外でのすべての行動履歴を明らかにする。最低限、そうした措置を取るべきでしょう」

   比屋根さんは、沖縄において、「軍の論理」を住民の命よりも優先させる例は、今回に限ったことではないという。例えば戦時中に八重山諸島で起きた「戦争マラリア」だ。日本軍の命令によって、石垣島の住民は島内の山間部、他の島の住人は西表島の高地へ強制疎開させられ、3600人以上がマラリアで死亡した。

   戦後の米軍占領下でも同じようなことが起きた。米軍は住民が収容されている間に農地を基地にしたばかりでなく、1950年代には、「銃剣とブルドーザー」によって伊江島や伊佐浜の美田地帯から農民を追い出し、基地を拡張した。そうした例を振り返ると、今回のコロナ禍で住民の生命を軽んじる米軍や日本政府の体質には、同じ「軍の論理」を感じてしまう。

    「住民の命を顧みず、軍の論理を貫徹するという体質は、戦後も日本政府の中に脈々と続いてきたのではないか。沖縄の民意がすべて反対しているのに、普天間飛行場の代替施設を辺野古に強行移設しようとする政府を見ていると、そう思わずにはいられない」

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