外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(14) 世界第3の感染者数インドにみる「経済再開」と「防止策」

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オンライン化で人と接しなくていい層と接しなければならない層

   こうして大都市ではピークを過ぎたかに見えるが、今は出稼ぎ労働者が多いビハール州などで感染が拡大しており、そうした地域から、また職を求めて大都市に還流すれば、また元の黙阿弥になる可能性が高い。

   「政府が経済活動の再開を急ぎたかった気持ちはわかるが、第3者の目から見れば、もう少し感染の再拡大を防げなかったのか、と思う。それがうまくいかなかったのは、レストランやピザ店の宅配、家庭における美容院サービスなどで働く数百万人のギグワーカーの実態を、政府が掌握していなかったこともあるように思う」

   モトワニさんは、そういう。21世紀の感染症の対処法は、20世紀とは違う。職種が多彩になり、都市部ではITの導入によって、働き方も大きく変わった。そうした社会動態や、人々の移動を予測しながら機動的に感染防止策を導入しなければ、効果はあがらない、という指摘だ。

   日本の対応は、インドと比較すると、はるかによいアプローチだった、とモトワニさんは評価する。

   「ロックダウンの強制措置をとらず、休業養成に応じた企業や個人事業主に、補助金や優遇税制で応えた。その点は、補償がまったくないインドよりもよかった、という」

   さらに、日本が強制措置を取らずに第1波を抑え込んだ点について、「衛生文化」の高さと、「規律正しさ」をあげる。

   「私も最近はマスクをつけて散歩するようになったが、日本ではコロナ禍の以前から、風邪をひけばマスクをする習慣が根付いていた。ロックダウンの間、デリーのお寺や政党は炊き出しをして、3食の料理を無料で提供するところがあったが、それを見ていると、配られた食事をその場で、手で食べている人が多くいた。習慣の違いとはいえ、日本ではこんなことはあり得ないだろうと思った。感染に対する意識が、インドでは、まだまだ低いと感じました」

   モトワニさんは、どんな感染症も絶滅はできず、今後もどこかにウイルスは潜伏するだろうという。だが、それが破局的にまで拡大し、医療体制を崩壊させないためには、互いの距離をとって「3密」を避け、マスクをつけ、手指をよく洗うといった基本的動作を徹底するしかないだろう、という。その「基本動作」において、日本の衛生文化は貴重な資産だという。

   デリーでは7月1日から規制が緩和され、バスも動き始めた。夜の10時から朝方までは外出禁止だが、美容院やジム、映画館は閉鎖されている。レストランは営業を再開したが、客は定員の半数に限られる。

   「製造業はまだ6割程度にしか戻っていないし、サプライ・チェーンも完全には復活していない。2輪やトラクター販売は戻ってきたが、自動車販売の復活には、まだまだ時間がかかるだろう」

   モトワニさんは、今回のコロナ禍で、貧富の格差があらわになったうえに、その差がさらに拡大する恐れがあるという。

   「政府はこの数年、社会的な格差は縮小して、貧困ライン以下の国民は2割程度といってきたが、8億人もの人が無償の配給を受けねばならない実態を見ると、実際にはまだ多くの人々が貧困状態にあると思う。ギグワークをしている人々も、2~3か月で貯金が尽きるという人が大半だ。今後、中間層が消費を絞るような機構が続けば、貧しい人々がさらに影響を受け、経済活動が停滞すれば、格差はさらに広がるだろう」

   今回のコロナ禍で、変わるのは働き方だろう、とモトワニさんはいう。

   「私が勤めていた大学も、すぐにオンライン講義に切り替わった。私のコンサルティングの仕事も、これからは自宅で、オンラインを使う方式に切り替わると思う。フェイス・トゥー・フェイスが常識だったビジネスの社会も、遠隔が常態になる可能性が高い」

   だが、社会には、オンラインに移行できない仕事はいくらでもある。商品や料理、生鮮食品でも、オンラインで注文できる。しかしそれを、実際に消費者に届けるのは、ドライバーであり、宅配の担い手だ。商談や営業はオンラインに移行できても、実際には人が媒介しない限り、ビジネスは完結しない。

   そうなれば、オンラインに移行して、感染リスクを回避できる層と、実際に人と接して感染リスクにさらされる層のあいだに、さらに未来の分断線が引かれることになるのだろうか。

    モトワニさんの話を聞いて、そんなことを考えた。

ジャーナリスト 外岡秀俊




●外岡秀俊プロフィール
そとおか・ひでとし ジャーナリスト、北大公共政策大学院(HOPS)公共政策学研究センター上席研究員
1953年生まれ。東京大学法学部在学中に石川啄木をテーマにした『北帰行』(河出書房新社)で文藝賞を受賞。77年、朝日新聞社に入社、ニューヨーク特派員、編集委員、ヨーロッパ総局長などを経て、東京本社編集局長。同社を退職後は震災報道と沖縄報道を主な守備範囲として取材・執筆活動を展開。『地震と社会』『アジアへ』『傍観者からの手紙』(ともにみすず書房)『3・11複合被災』(岩波新書)、『震災と原発 国家の過ち』(朝日新書)などのジャーナリストとしての著書のほかに、中原清一郎のペンネームで小説『カノン』『人の昏れ方』(ともに河出書房新社)なども発表している。

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