「経済成長」で人気のモディ政権に批判が
厳格な都市封鎖をしたものの、経済的な負荷に耐えきれずに制限を解除し、それがさらなる感染の温床になるように見える。そうしたモディ政権のコロナ対応策に、批判は出ていないのだろうか。その点について、奈良部さんはこういう。
「モディ首相は昨年4月の2期目をかけた選挙で大勝した。その直前の2月26日には、インド治安部隊のバスに対するイスラム過激派への攻撃に対処するため、インド軍戦闘機が、パキスタン領内のバラコットを空爆する事件が起きた。48年ぶりの越境空爆で、モディ首相は、高揚するナショナリズムの波に乗って大勝した。2期目は、ヒンドゥー教徒右派から求められたカシミールの特別な自治権の廃止に手をつけるなど、積年の課題に取り組んできたところだった」
それまで人気の高かったモディ政権だが、コロナ禍で若干、風向きが変わった、という。
「連邦政府と州政府の連携がうまくいっていない、という批判がある。さらに、モディ首相は5月に、名目GDPの10%にあたる巨額の景気刺激策を発表したが、それが末端にまで届かないという不満もある」
モディ首相は5月12日のテレビ演説で総額20兆ルピー(約28兆円)の景気刺激策を発表したが、そこにはすでに政府や準備銀行(中央銀行)が発表した5兆5千億ルピーが含まれていた。さらにその内訳も、日本の年金にあたるプロビデント・ファンド(PF)への企業・従業員の拠出金減額や中小企業向けパッケージなどで、貧困層に直接行き渡る支援策には乏しい。
もっともモディ政権はロックダウン翌日の3月26日には、1兆7000億ルピー(約2兆5000億円)の貧困層支援策を打ち出し、約8億人に5キロの米と小麦を支給した。さらに5月14日には、すべての出稼ぎ労働者を対象に、2か月分の食料を無償で供給する方針を打ち出した。これは米か小麦どちらかを1人あたり5キログラム配るという支援策だった。
「モディ政権は科学などの専門知を大事にして、それに基づいたコロナ対応策を決定してきたとはいえない。科学者がデータを出し、そのようなプロセスを経て政策を打ち出したのか、よく見えないのが現状だ」と奈良部さんはいう。
結果として、当初は21日間と見込んでいた厳格な都市封鎖は3度の延長で2か月に及び、制限を段階的に緩和しても感染は急拡大している。
「ラーマーヤナと並ぶインドの古代叙事詩マハーバーラタでは、最後の決戦クルクシュートラの戦いは18日間で決着する。モディ政権は短期決戦を目指したが、結果としては長引いた。私権の制限は小さければ小さいほどいいし、日本のように、強制的措置を取らなくても感染が収まるなら、それでいいと思う」
もちろん、日本でも首都圏を中心に感染が再び拡大しつつある状態では、すべてはまだ、途中段階にすぎない。即断はできないだろう。
コロナ禍が始まる前、中国に次いで躍進を遂げたインドは、今後高齢化が急速に進む中国に人口で追いつき、やがて追い越すとみられていた。さらに、豊富な若年労働力の供給と政治的な安定によって、英金融大手のHSBCが3年前に、「インドは2028年までに日本、ドイツを追い抜き、世界3位の経済大国になる」と予測するなど、近い将来の「経済大国」への呼び声が高かった。また、昨年の英研究機関オックスフォード・エコノミクスの予測では、2019~35年に世界で成長する世界の都市のランキングで、インドの各都市がトップ10位を占めた。
だがその一方で、インドの教育や医療の水準は、その成長に見合った整備がなされたとはいいがたい。たとえば2年前の5月に英医学誌ランセットが掲載した世界の「医療へのアクセスと質」ランキングによれば、インドは1990年の153位から2016年には145位に「向上」したが、いまだにバングラデシュよりも低い水準だ。
こうしたインドの現状は、コロナ禍でどう変わるのか。その問に対し、奈良部さんは、こう答えた。
「人口の増減や年齢構成が経済力と関連していることは疑いない。その点からいえば、若年層が圧倒的に大きいインドが、今後も成長を続ける可能性は高い。ただ、これまでの高度成長は、いびつなところも多かった。エリート出身者は高等教育を受け、海外でも活躍する一方、国内の初等教育や保健衛生の整備は成長に追いつけず、取り残されたままだ。ボトムアップの教育の充実がなければ、格差や社会内の断絶は拡大し続ける恐れがある。今回のコロナ禍は、インドにそうした現実を突きつけていると思う」