プライベートジェットと聞いて、何を想像するだろうか。豪華な革張りの広いシートが快適に体を支えてくれる。体を伸ばしたければ、ソファー席に移ればいい。当然、インターネットは高速WiFi。ディナーは自分が選んだ高級フレンチにシャンパン――。そんな豪華な空の旅だろう。ビリオネアやセレブたちだけが享受できる移動手段かと思いきや、新型コロナウイルス禍で、日本でビジネス向けの利用も増えているという。
ANAホールディングスと双日が合弁で立ち上げた「ANAビジネスジェット」。2018年7月に設立されたばかりだが、1年目で黒字を達成し、2020年4~6月期の売上高は前年同期比260%で黒字だった。「出張で使ってみたい。いくらで利用できるか」といった問い合わせも、19年に比べて約3倍に増えたという。
工場再開にエンジニアをプライベートジェットで現地派遣
コロナ禍による空前の不景気に見舞われる航空業界。多くの国が国際的な移動制限措置に踏みきり、多くの人々も空の旅を敬遠する中、なぜ成長を果たせたのか。ANAビジネスジェット総務企画部の野村良成部長は話す。
「まず、少人数による旅なので『密』が避けられること、そして機内の空間を関係者のみで占有できるメリットがあります。大企業のエグゼクティブを中心に、需要が高まっています」
どんな旅の需要なのか。野村氏が挙げた、ANAビジネスジェットがコロナ禍の中で手配した事例の一つは、中国の地方都市へのチャーター便だった。中国に進出していたある日系企業から、現地で感染者数が減ってきたことから工場の操業を再開するためエンジニアら数人を派遣したいと要望が寄せられた。渡航制限のためエンジニアらは通常便で行くことができず、プライベートジェットを使う判断をしたという。
ビジネス用途以外にも、日本の富裕層から旅行の手配のオーダーが来たことも。緊急事態宣言の解除前後の当時、日本ではコロナが多少落ち着いてきたものの、渡航制限で海外旅行は難しかった。そのため、離島などへの国内旅行にプライベートジェットを利用してもらったという。
手短な出入国手続きもメリット
ANAビジネスジェットによると、プライベートジェットの利用が増えているもう一つの理由に、「時間の有効活用」を挙げる。
世界レベルでは新型コロナウイルスの感染者は増え続けており、多くの国でまだ入出国に制限があるのに加え、入国時に検温・検査など厳重な手続きが必要な空港もあり、コロナ前より「拘束時間」が長い傾向にある。そもそも日本から直行便が就航していないため、何度も乗り換えが必要なケースも多い。また通常便の場合、出発時間の1~2時間前までに空港に行かなければならない。忙しいビジネスマンにとっては不自由な面があるのも事実だ。
一方、プライベートジェットの場合、長い行列に並んで一般の搭乗ゲートを通ったり保安検査を受けたりする必要がなく、プライベートジェット専用のゲートから短時間で出発できる。日本では羽田や成田など5つの空港に専用ゲートがある。出国手続きなども手短に済ませることができる。ANAビジネスジェットによると、通常便に比べ2時間から2時間半は時間を短縮できるという。
ちなみに、2019年末にレバノンに逃亡した日産のカルロス・ゴーン元会長が出国したのは5空港の一つの関西空港で、出国手続きの簡便さから逃亡ルートに選ばれたと報じられている。
ところで、便利なのはわかったが、気になるのはいくら払えば「セレブな旅」を体験できるかだ。
ジェット機は、例えばホンダの航空事業会社「ホンダ・エアクラフト・カンパニー」の「ホンダジェット」(7人乗り)の場合は約525万米ドル(約5億6100万円、1米ドル=107円で計算)とされる。世界で最も手頃なプライベートジェットとされる「シーラス・エアクラフト」社の「ビジョン・ジェット」でも約200万米ドル(約2億1400万円)だ。
気になる利用料金は? 通常便の12倍の場合も
「手頃」といっても億単位だ。ジャンボ機ほどではないにしても、保有コストはばかにならないはずだが...。
実は、ANAビジネスジェットは、親会社のようにジェット機そのものを1台も保有していない。ライバルのJALも丸紅との合弁で2019年1月に「JALビジネスアビエーション」を設立して参入しているが、こちらもジェット機は持っていない。
両社とも、世界で2000社ほどあるプライベートジェットを保有する運行会社や、個人・法人のオーナーから機体をレンタルし、顧客が希望する航路・旅程に合わせてフライトをアレンジする旅行業、つまり「手配屋」なのだ。
ANAビジネスジェットのパンフレットに、その価格体系の一端が示されていた。実際は顧客のリクエストに合わせたオーダーメードの旅となるため、その都度費用は異なるが、例えば、最大十数人が乗れる機体で東京から中国の上海→南昌→重慶をめぐって再び東京に戻るフライトの場合、2000万円から可能だ、とある。同じ機体で東京とハワイを往復する場合は2300万円からだという。
国内チャーターのケースも同じパンフレットにあった。例えば、羽田―下地島(沖縄県宮古島市)を客席が8人分あるジェットで往復するなら1200万円から。一般機のエコノミーで移動する場合、羽田―宮古は往復で1人約12万円(正規料金)。8人分とすれば、計約97万円の計算だ。プライベートジェットでの旅の12分の1にあたる。
さて、あなたは値段を取るか。それとも「時間をお金で買う」ことで、好きな時に飛べ、コロナ感染のリスクもより少ない旅を取るか。