外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(13)科学と政治のあいだはどうあるべきか

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科学コミュニケーションの役割とは

   翌14日、前日は所用で出席できなかったCoSTEP部門長の川本思心さん(44)に、ZOOMで話を聞いた。川本さんは理学研究院で准教授を務める理学博士だ。川本さんにはまず、科学コミュニケーションの専門家として、今回の「科学と政治」のかかわりをどう考えるかについて尋ねた。

「専門家会議と、その下にあったクラスター対策班は、厚労省の一会議ではあったが、感染防止に尽力したと思う。3・11の東日本大震災で起きた福島第一原発事故では、独立した専門家の発信はなかった。発言したのは原子力の専門家であり、原発事故の専門家ではない。その点、やむにやまれずという事情もあったが、役所とは別の組織を作って科学者の立場から情報を発信した点で、今回は一歩前進と評価したい」

   川本さんはさらに、当局の立場ではなく、「新型クラスター対策専門家」と「コロナ専門家有志の会」という二つのアカウントで、専門家がツイッターで発信した点にも注目する。

   「こうした場合に、発信している人がどういう人かを明示する透明性が大切になる。『有志の会』は発信組織が何なのかわかったが、『専門家』では明示されていなかった。こうした場合には、責任の所在があいまいになり、『前のめり』という批判も出てくる」という。

   科学者と政治家の役割分担について、川本さんは、「科学的知見が必要な場合でも、政策の決定権は民意で選ばれた政治家にあり、代表性のない科学者にその権限はないし、責任も負えない。今回は日本にとって幸いなことに、専門家が個人的にがんばって第1波の感染を抑えた。消防や警察など、専門性の高い分野では平時から常駐が必要なように、感染症の分野でも、アメリカ疾病予防管理センター(CDC)のような独立性の高い専門機関の設置が望ましい」という。

   だが制度があっても、今回の米英のように、科学を「政治化」したり、政治家が助言を無視したりすれば、役割分担は機能しない。

   安全保障の分野ではよく、「サイエンスとアート」ということが言われる。制度や技術、システムが「サイエンス」。これだけでは機能せず、人が判断し、臨機応変に対処する「アート」も欠かせない。日本には「サイエンス」にあたるシステムがなかったが、システムや制度があった米英も、「アート」の部分でつまづいた、と川本さんは指摘する。

   今回のコロナ禍では、リスクコントロールの難しさが際立っている、と川本さんはいう。

   科学の分野では一般に、狭い意味の「リスク評価」は「ハザード(危害の要因)のインパクト(大きさ)×確率」で表される。今回の場合、「致死率」や、感染力を示す「再生産数」は徐々に明らかになったものの、それは全体としての数値であって、個別の人にどれだけのリスクがあるのかは、必ずしも明らかになったわけではない。こうした場合には、国、地方自治体、あるいは個々の病院、ふつうの人の日常生活といったレベルに応じて、個別の「リスク管理」をするしかない。

   「3密」を避ける、という方針は正しいとしても、それは「3密」を避ければ感染しない、ということを意味しない。マスクの着用も同じだ。

   こうした場合は、解像度をあげて、各レベルでの対応策を取るしかないが、多くの場合は「安全」の方向に大きく舵を切り、リスクを回避しようとする。それが「ロックダウン」であり、もっとスマートな手法では、各国が採用した「感染者追跡システム」のようなかたちになる。しかし、「ロックダウン」では経済活動が停止するし、監視システムは個人情報の管理が問題になる。

   科学的な知見が確定しない状況では、専門家が助言し、それを踏まえて政治家が、利害関係が錯綜する問題について決断を下す。

   だが、その場合、どのような人が専門家として最適か、政治家は判断できない。結局は官僚が選ぶことになるが、そこには、役所にとって「使いやすい」かどうか、など別の評価基準も入るだろう。

   政治家が専門家に判断を「丸投げ」すれば、批判は専門家に向かう。決定権もなく、批判されるだけ、ということが続けば、そうしたリスクをあえて引き受けようとする専門家もいなくなるだろう。それが最もこわい事態だ。

「そういう専門家がいなくなれば、高度に科学や技術が発達した社会が、近代以前に戻るということになる」

   専門家に対する正しい評価は、同じ分野で研究してきた専門家同士にしかできない。それは、複雑化した科学技術社会では、専門分野が極めて限られたものになっているからだ。そのような社会では、専門家同士が、自由に意見交換をし、互いを評価できるような仕組みが欠かせない。

「要は、現代社会では、『科学』と『政治』の境界があいまいになりがちで、互いに越境しがちな危うさを抱えていることを、つねに意識していなくてはならない、ということだろう」

   そう川本さんはいう。そのうえで川本さんは、日本のように災害が頻発する社会では、 災害に対応する省庁のような常設機関の設置が望ましいという。

「今や、戦争が起きる確率よりも、災害で亡くなったり被害を受けたりする確率の方が高い。危機に対応する組織を作って、平時から備えるべきでしょう」

   CoSTEPの会議でおわかりのように、「科学コミュニケーション」の課題は、社会啓発や教育、広報から、「科学と政治」のかかわりに至るまで、きわめて多岐にわたる。

   川本さんの話を聞いて、今回のコロナ禍が、「科学コミュニケーション」にも大きな変化をもたらすだろう、と確信した。

ジャーナリスト 外岡秀俊




●外岡秀俊プロフィール
そとおか・ひでとし ジャーナリスト、北大公共政策大学院(HOPS)公共政策学研究センター上席研究員
1953年生まれ。東京大学法学部在学中に石川啄木をテーマにした『北帰行』(河出書房新社)で文藝賞を受賞。77年、朝日新聞社に入社、ニューヨーク特派員、編集委員、ヨーロッパ総局長などを経て、東京本社編集局長。同社を退職後は震災報道と沖縄報道を主な守備範囲として取材・執筆活動を展開。『地震と社会』『アジアへ』『傍観者からの手紙』(ともにみすず書房)『3・11複合被災』(岩波新書)、『震災と原発 国家の過ち』(朝日新書)などのジャーナリストとしての著書のほかに、中原清一郎のペンネームで小説『カノン』『人の昏れ方』(ともに河出書房新社)なども発表している。

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