コロナ時代のコミュニケーションのあり方
ここから話題は、「コロナ時代」のコミュニケーションのありように広がった。問題を提起したのは朴さんだ。大学でも社会でも、会議や講義はこの間、急速にオンラインに移行した。だが、そのコミュニケーションは、「リアル」と同じなのだろうか。
「私が感じるのは、人と人のかかわりが視覚や聴覚に限定され、フラットになるということだ。唾が飛んできたり、臭かったり、空気感を共有したりすることがなくなって、レイヤー(層)を重ねて深めるのが難しい。アートでいえば、『アウラ』(オーラ)のようなものが感じ取れなくなる。このままオンラインに慣れると、ネットでいいじゃん、だったら学校に行く必要はあるの?とならないだろうか。ノイズがないということは、雑談もできない、ということだろう」
これについて、6月13日に一般の市民が語り合うネット上の「哲学カフェ」を主宰したばかりの原さんが、体験例を話した。
「この前参加した女性は、オンラインの方が心置きなく話せるといっていた。体が小さな方らしく、リアルの場では大きな男性を前にするとプレッシャーを感じてしゃべれなくなる、という。授業を集団で受けるのは苦手な子も、オンラインでは参加しやすい、という報道もあった。リアルで力を発揮できる人もいれば、オンラインの方が力を発揮しやすい人もいる」
この発言に対し西尾さんは、日本人は意外にオンラインに向いているかもしれない」という。
「日本では、会議室に全員座っていても、発言するのは上座の人。手を上げて発言するのは苦手という人も多い。ZOOMでは上座も下座もなく、階層がフラットになり、参加者の集合知を出しやすい。特定の人だけ目立つということはなくなるかもしれない」
これに原さんが、こう応えた。
「しかし、下座、上座といった空間的な情報も、これまで、おべっかを使って生きてきた人にとっては、重要な情報なわけですよね。そういうコミュニケーションをとってきた人にとっては、やはりオンラインは不利になる」
その発言が笑いを誘い、朴さんが、「オンラインによる回路ができて、コミュニケーションの選択の幅が広がったということかもしれない」と2時間余の会議を締めくくった。