コロナ禍で生じる激動
「時代の激変期に、気楽というか、贅沢な青春を送った」というノーマさんだが、新型コロナの感染拡大から、1929年の大恐慌以来という不況が始まろうとしている今は、当時と同じか、それ以上の急速な変化を感じている。とりわけ、ジョージ・フロイドさん殺害事件を機に、「人種差別」への抗議の波が広がる動きは、60年代末期の状況に似ている、という。
その最も身近な例は、インタビュー直前の27日、博士号を取得した母校のプリンストン大が、公共政策や国際関係論を学ぶ「ウッドロー・ウイルソン・スクール」を改称すると発表したことだ。ウィルソンは1902~10年に同大学長を務め、13~21年に大統領となった人物だ。日本でも、国際連盟の創立を呼びかけた人物として記憶され、米国は参加しなかったものの、その功績をたたえられて1919年にノーベル平和賞を受けた。
いわば「母校の誉れ」ともいうべき人物だが、ウィルソンは学長時代に黒人学生の入学を認めず、大統領時代にも、人種隔離政策を支持していた。
クリストファー・アイスグルーバー学長はプリンストン大コミュニティ-へのメッセージで、「彼の人種差別的思考と政策は、断固としていかなる人種差別にも反対すべき我々の研究機関の名前にはふさわしくない」と述べ、彼が大統領時代にとった連邦職員の分離政策は、それまで定着していた融合政策を逆戻りさせるもので、当時の基準に照らしても重大なものだったと指摘した。
これには前史がある。2015年11月には、ウィルソンの名前を外すよう求めた学生の活動家が学長室を占拠する事件があった。その後、同大は、ウィルソンの言動を歴史的に検証する委員会を設けてきた。だが、フロイドさん殺害事件が起きて、米国に残る人種差別がいかに深刻かを知り、理事会に採択を提案したのだという。
「私も学んだ大学だったので、これには驚きました。ウィルソンの功績は認めても、人種差別に基づく価値観や政策は許さない、すくなくとも、『許している』と思われることは不利、という判断の表れでしょう。1993年に細川護熙首相が日本の『侵略行為』に初めて、あっけなく言及した時のような驚きでした」
68年当時と違って、今回の「ブラック・ライブズ・マター」の特徴は、黒人だけでなく大勢の白人が抗議に参加し、それがとりあえず続いていることだ、とノーマさんはいう。背後にはパンデミックの影響があるにちがいない。これまでにない数の人たちが時期を同じくして社会の不条理を実感していることは見逃せない。大企業ですら、本心はともかく、人種差別反対を唱えざるを得ない雰囲気がある。
この動きは、黒人差別反対だけでなく、広く歴史全般への見直しにもつながる兆しをみせている。
すでにフロイドさん殺害事件後の6月9日には、米動画ストリーミングの「HBO Max」は、奴隷制を守ろうとした米南部が舞台の映画「風と共に去りぬ」の配信を停止し、その後の24日、当時の時代状況を説明するシカゴ大学でアフリカン・アメリカンの映画を専門とする教授の解説動画を冒頭に加えたかたちで配信を再開した。
6月20日の「奴隷解放記念日」には、首都ワシントンで、「南部連合」のアルバート・バイク将軍の銅像が倒されたほか、南部ノース・カロライナ州でも南軍兵士の銅像が引き倒された。すでに6月7日には、英南西部のブリストルで、17世紀に奴隷貿易をして富を築いた商人の銅像を抗議の民衆が引き倒し、港に投げ込む事件が起きていた。
さらに南部ミシシッピ議会は同28日、かつての南軍のデザインをあしらう州旗を変える法案を可決し、これで南軍旗はどの州旗からも姿を消した。
また、米プロフットボールリーグ(NFL)のワシントン・レッドスキンズは、7月3日、先住民のネイティブ・アメリカンを指す「赤い肌」の名前を見直すことを決めた。これもまた、フロイドさん殺害事件から始まった人種差別反対の流れを受けた見直しだ。
こうした歴史見直しのうねりが、自らの選挙戦に不利とみたのか、トランプ大統領は7月3日、初代ワシントンら4人の大統領の顔が岩山に掘られたサウスダコタ州ラシュモアの前で演説し、「我々の国は歴史を消し去り、英雄を冒涜する無慈悲な運動に直面している」と訴えた。さらにトランプ氏は、「暴徒が建国の父たちの銅像を倒し、各都市で暴力の連鎖を引き起こしている」と述べ、「偉人像撤去」の「新たな極左ファシズム」と戦い、厳しく取り締まる姿勢を示した。