新型コロナウイルスは、今なお米国で感染拡大を続けている。今回のコロナ禍で際立っているのは、アフリカ系の黒人の死が、他のグループの2倍に達し、社会的不平等の断層線を浮き彫りにしたことだ。コロナ禍が突き付けたアメリカ社会の現実とは何か。どうしても、お話をうかがいたい学者がいた。2020年6月28日、長くシカゴ大で教鞭をとってこられたノーマ・フィールドさんにZOOMでインタビューをした。
沖縄を通して
ノーマさんとは、直接お目にかかったことがない。それなのに、いつも身近に感じてきた方だった。それは、共通の知人である比屋根照夫・琉球大名誉教授を通して、この20数年来、その消息を伝え聞いてきたからだった。シカゴ大で在外研究を行った比屋根先生は、日本や日本文化の研究をしていたノーマさんと出会い、家族ぐるみの交流を続けた。そのご縁もあって、ノーマさんが1988年に生まれ故郷の日本に帰り、昭和天皇の死去をめぐるルポルタージュを取材した際にも、沖縄で知己をご紹介するなどした。
その成果は「天皇の逝く国で」(大島かおり訳、みすず書房)にまとめられ、すでに米国内では「源氏物語論」や漱石の翻訳で著名だったノーマさんの名は、日本でも広く知られるようになった。ちなみにこの本は、沖縄国体で日の丸を焼いた知花昌一さん、自衛官合祀訴訟で、夫の護国神社への合祀に抗った中谷康子さん、天皇の戦争責任に言及して狙撃された本島等長崎市長にスポットを当て、歴史を背負って膝を屈しないその姿勢から、「自粛」を強いる日本社会の構造を逆照射して、深い感動を与えた。全米図書賞を受け、日中韓などの編集者が選定した「東アジア人文書100」(みすず書房)にも選ばれている。
その後、比屋根先生から、ノーマさんが小樽に住み、プロレタリア作家の小林多喜二について研究していると聞き、意外に思った。21世紀初頭に、劇画版を通して「蟹工船」が若者の間でブームになったとはいえ、「なぜ、いまなのか」という疑問が湧いたからだ。
その疑問は、2009年に出た岩波新書「小林多喜二21世紀にどう読むか」で氷解した。ノーマさんは、非正規雇用やブラック企業で多くの若者が呻吟する社会を背景に、「共産党神話」や戦後の「政治と文学」論争などを通して偏見に染まった多喜二像を脇に置き、彼の作品そのもの、とくに初期の作品や手紙、親しかった人たちの言葉などを重視し、彼の人間形成に決定的だった小樽という地で一年暮らしてみることによって、自分なりの出会いを求めた。戦後の日本社会が見失った視点を、もう一度取り戻そうとしているのだ、と。
その後、2011年の東日本大震災と、福島第一原発事故のあとで、私は初めてノーマさんと接点を持つが、それは後で触れたい。