過去最多となる22人が出馬した東京都知事選(2020年7月5日)で、「23人目の候補者」になるかもしれなかった人物がいる。
高橋尚吾(しょうご)さん、36歳だ。
高橋さんは2016年の都知事選に出馬。まったくの「無名候補」であったが、「政争から行政を切り離す」という政治信念をひたすらに語り続ける、あまりにまっすぐな選挙活動を展開。他の候補の応援演説まで買って出た。結果、候補者21人中9番目となる1万6664票が彼に投じられた。
今回の都知事選においても、直前まで立候補を考え、思い悩んだが、最終的には断念し、「元候補者」として、この選挙を見つめることに。高橋さんが見た都知事選の実情、出馬断念にいたる葛藤、今回の選挙への思い――そして、本来求められる、地方選挙のあり方とは。
投票日を前に、高橋さんの手記をJ-CASTニュースでは掲載する。
私達の都知事選
6月18日から始まり7月5日に投開票を迎える東京都知事選は、折り返しを過ぎると世間の盛り上がりは一定の落ち着きを見せるものである。しかし候補者達は、報道格差(特定の候補ばかり取り上げる偏向報道問題)の影響を目の当たりにし、有権者の反応を踏まえさらに自らを駆り立てていく。
終盤になれば、報道機関は最後の盛り上がりを演出するが、それを客観視する有権者の、政治へ失望や様々な問題に置き去りにされた当事者の声が取り上げられることはまずない。
多くの思いが複雑に交錯し投票の日を迎える。
それが私達の東京都知事選である。
前回の都知事選で私は一候補者の立場から、様々な立ち位置の人を目の当たりにした。
テレビの主張をそのまま判断基準とする多くの人々、政権争いのため都知事選は不正をしてでも勝つべきと叫ぶ政党支持者、偏った選挙報道への不満を語るマスコミの若手社員、「この子の生きるこれからの社会は絶望的」とつぶやく幼い子を連れた母親。
皆、救われたのだろうかとふと思う。
選挙カーや報道からは、都民のため、この問題の解決を唱えるのは誰それ、といった内容ばかりだったからだ。
私が都知事選に出馬したきっかけ、それは衝動的なものだった。
舛添要一都知事(当時)の辞任のニュースが目に入ったその時、強い衝撃が走った。走馬灯が見え、そしてそれが過ぎ去った後には「今すべきなのだ」という深い確信だけ心の中に残っていた。
当時私は怪我の手術や職場の人間関係のトラブルなどが重なり療養中で、そこからようやく社会復帰をしようとした矢先だった。手持ちの資金はなく、辞任から約3週間後と決まった告示日(立候補の締め切り日)に向け、政策や支援を訴え駆けずり回った。次第に支援や貸し入れの申し出が集まり、供託金(立候補の際に国に預ける金)300万円をかき集め立候補に至ったのである。
おそらく、これだけではご覧の皆さんも私を変人の類と思うことだろう。なので簡単に自己紹介をするが、私はその時まで社会問題を分析し続けており、10年以上にそれは及んでいた。
ひたすら負け犬と呼ばれ救済されない氷河期世代の実情、社会の破綻も予測される強烈な少子化、政治学でも指摘される政治上の過ちが見過ごされている現状に憤りを持ち続けていた。若い頃からだったため昔は「大人は何をやっているんだ」という思いだった。それは大人と呼ばれる年代になっていた出馬時には「大人として筋を通すべきは今である」という思いへと結びつくこととなる。
都知事選の「本当の目的」と実態
ただ、実際は選挙など全くの素人。政策や問題提起はあるが、選挙カーやポスターを作るノウハウも金もない。それでも最初は「正しいことを言えば反応する大人がいるはず」と、今思えば根拠のない期待ばかり抱いて演説を重ねていた。
しかし次第に、徹底的な偏向報道と無名の候補者へ向けられる異様な者を見るかのような目線と、選挙を通じても広まることのない本当に苦しんでいる人々の声という実態が見えてくる。
「これは異様だ」という切迫感で満たされていく。氷河期世代をさらに4年間、何の打つ手も無いままにするのはあまりに耐え難いことだった。
適切な政策が行われていれば今後生まれてくるはずの多くの子供達、集票のために掲げられた有名候補者の公約を必死になって信じようとする人々が脳裏に浮かぶ。
その差し迫る問題と実情を社会へ告発するのが候補者の役目であると、ひたすら自分に言い聞かせ励まし続ける。しかしその解決の道筋は見えないまま、選挙という限られた時間での打開を更に自らへ突きつける。言葉にしようがない苦悩であったと言うほかにない。
隠せないほどの心身の疲弊へつながっていった。笑顔でいなければならなかったのに。
その最中に心の中には、先程述べた、様々な立ち位置の人が語る言葉が積み重なっていった。
選挙の序盤、帰宅ラッシュの車内にたすきを掛けたまま乗り込んだ時の、周囲から伝わる緊張感は忘れられないものがあるが、終盤にもなると「お疲れですね」と声をかけられ席を譲られたこともあった(※たすきを掛けて乗車するだけなら問題はないと駅長や関係部署に確認を取っての乗車である。呼びかけなどの街宣行動は一切していない)。
後半のある一日がJタウンネットにて取り上げられたこともある。
こちらもよろしければご覧頂きたい。
語ればキリがない。ひとまず当時のエピソードはここで区切りとしたい。
元候補者として「都知事選」を解説するなら、有名候補または目立つ候補が注目されがちな選挙ではあるが、本当の目的は「見向きもされない社会問題を世に知らしめ、そしてその解決の道を地域の人々で選び導いていく」ものだといえる。
しかし実態は、戦後日本の重要な理念である地方分権(国政と地方を分けて政治を行う)がほぼほぼ無視され、政党の党勢拡大、つまり国政の政権争いの踏み台に利用されてしまっている。
政党の思惑はあくまでも政治思想の一つである。それが地域住民一人ひとりの訴えよりも優先されるべきなのだろうか。
皆さんに想像して頂きたいが、例えば自分の子供や親戚が、「介護自殺」(支援も受けられず介護の負担を苦にして行われる自殺。若者に増えている)へと今追い詰められているとしよう。
その最中で「政権争いのために都知事選は○○に投票しろ!!」とあなたは叫ぶことが出来るだろうか。
しかしそのような空気がこの東京都知事選では作り上げられている。
私達自身が陥っている「地方の政治は政党の思惑で左右されるもの」という思い込みこそが、最大の問題を引き起こしている原因なのである。
私の今回の東京都知事選
実は、今回の選挙に私は出馬を検討していた。
借金を返し終わりつつあり、今回は誰か候補を応援しようと楽な気持ちでいたのだが、試しに今回の都知事選に向け公約を書いたところ、これが選挙の選択肢として出さないのは余りにも惜しいという思いになり、300万円を支援を受けて集め、それを納める法務局(東京 九段下)まで行ったのである。
しかし、断念した。本当にあと一歩のところだった。
やはりどうしても政党に忖度する強烈な偏向報道と社会問題を訴える一個人の立候補を軽視する風潮は拭われていないと思ったからだった。
それはこの選挙後の4年間をまた借金返済などで建設的な活動が出来なくなるのを意味する。ただ「見向きもされないから」という意味ではなく、長い目で見た本当の戦いを見越してのものであった。
言い訳じみてはいるが、断念のショックは大きく、しばらく体調を崩した。元気を取り戻しまず行ったのは込山洋候補の応援演説である。
マスコミに黙殺される候補という存在は、その背景の市民の苦しみの声を踏みにじる社会であることを意味している。
現状の都知事選が陥っている問題(前述の政権争いに利用されていることなど)を訴え、その意識を共有し真摯に向き合う込山洋候補をご覧くださいと呼びかけた応援演説だった。
その後は後藤輝樹候補や山本太郎候補の演説を見て周り、さらに積極的に選挙に関わるつもりだったが、私を育ててくれた親族の入院があり、都知事選への関わりは中断することになる。
どの候補も特別な人などではなく、皆同じ家庭や日常を営む普通の人である。
立候補は特別な印象を人に与えるが、その先入観は当たり前の捉え方を邪魔する。本当は、立候補する権利は誰もが持ち、日常にはびこる私達の問題を広く訴える仕組みが選挙である。
だから私は何より大きな問題である、国政と都政を切り分けられない風潮と氷河期世代以降の若い方々の救済を訴えた。
既に最終日を迎えた東京都知事選であるが、果たしてどのような結果と今後の4年間を生み出すのだろうか。
様々な立ち位置の人がそれぞれの意志を証明するために投票する。
その中には選挙権のない小さな子達のこれからの未来の絶望が拭われてほしいという願いが込められたものがあるかもしれない。
それが今私達の迎えている東京都知事選なのである。