外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(11) 「中国式」の力と限界

建築予定地やご希望の地域の工務店へ一括無料資料請求

   昨年暮れに中国・武漢で発生した新型コロナウイルスは、瞬く間に世界を一巡し、刻一刻と感染地図を塗り替えている。米国や中南米、南アジア、アフリカの被害が増え続けているため、おおむね沈静化した中国は今や「制圧」を自画自賛するまでになった。だが、その方式に限界はないか。「中国式」が国際標準になるのは、遥か先のことだ。

  •                               (マンガ;山井教雄)
                                  (マンガ;山井教雄)
  •                               (マンガ;山井教雄)

コロナをめぐる中国の位置

   20世紀末から今世紀初めにかけ、中国ほど「後発者利益」を享受してきた国は少ない。改革開放路線に舵を切って以来、経済特区に外国資本を呼び込み、技術移転によって製造業を興し、安価な労働力を武器に「世界の工場」を自他ともに認める存在になった。

   先行者の失敗やリスクに学び、長い時間をかけてインフラを構築する手間を省き、ITや衛星通信など世界最先端の技術を一気に導入する。そうした後発組ゆえの強みを発揮し、成長の道を驀進してきた。

   だが、こと今回の新型コロナになると、最初の感染地である中国は、今や「先行者」としての反射的利益を享受しているかのようだ。

   米国のジョンズ・ホプキンス大の2020年6月29日付集計によると、1千万人を超えた感染者数では米、ブラジル、ロシア、インド、英国、ペルー、チリ、スペイン、イタリア、イランなどが上位を占め、中国の8万4757人は21位だ。総数が50万人を超えた死者数では、米、ブラジル、英国、イタリア、フランス、スペイン、メキシコ、インド、イラン、ベルギーが上位で、4641人の中国は、こちらも19位になっている。人口10万人あたりの死者数で、中国はすでに日本を下回っているが、この先、世界で被害が拡大するほど、「先行者」である中国のランクは下がり続けていくことになりそうだ。

   では、それをもって、中国が新型コロナを「制圧」したモデルの一つになるのだろうか。ことはそれほど簡単ではない。

中国に詳しい朝日新聞記者、吉岡桂子さんに聞く

   「中国式」をどう評価したらよいのか。6月28日、朝日新聞編集委員の吉岡桂子さんにZOOMでインタビューをした。

   吉岡さんは2003年~04年に上海、04年~07年と、10~13年の2度にわたって北京に駐在し、大国に急成長する中国を間近に見てきた。2度にわたる北京駐在の間には、米国の首都にある「戦略国際問題研究所(CSIS)」の研究員として、米国での中国観などの調査にあたった。その後しばらくは日本を拠点に中国をウォッチしてきたが、3年前からはバンコク駐在編集委員として、主にアジアをフィールドとして、「グローバル化する中国」を現場で取材してきた。通算8年にわたる大陸取材とその後のアジア取材を通して、いつも大局的な視点と現場感覚を併せ持ったコラムやルポを書いてきた。

   吉岡さんの最近の大きなテーマの一つに、「一帯一路(いったいいちろ)」がある。これは2014年11月に北京で開かれたアジア太平洋経済協力首脳会議で習近平国家主席が提唱した広域経済圏構想だ。「一帯」はユーラシア大陸を通って欧州に通じる「シルクロード経済ベルト」を指し、「一路」は中国沿岸部からアジア、中東、アフリカの海に至る「21世紀海洋シルクロード」を指す。つまり、古代から大陸に至る陸上・海上二つのシルクロードを21世紀に再現し、通商のみならず、インフラ整備、投資を活発にして、中国との絆を強めるという世界戦略だ。

   吉岡さんはここ数年、中国による関係国への鉄路やインフラ、投資などを、現地でつぶさに目撃し、記録にとどめてきた。

   これだけ広域にわたる取材は、地域別に取材を分担する現地駐在の特派員の手に負えない。交通の要衝バンコクを拠点に、アジア・中東から欧州までを取材する編集委員の出番である。

   コロナ禍が拡大した1月以降、訪れたのはすべて第3国だったが、行く先々でアジアの国々に、最初の感染の波頭が届く現場に出くわした。1月下旬に訪れたミャンマーでは、入国時には検温チェックもなかったが、滞在数日のうちに検疫態勢が強化され、どうやって留学生を救済するかという議論が始まった。

   続いて中国と国境を接するラオスに入ると、中国人労働者が多いせいか、政権は極度の緊張に包まれていた。衛生当局は、世界保健機関(WHO)から派遣された職員と連日のように会って意見交換をし、シミュレーションを重ねた。コロナ型ウイルスに備えるのは初めての経験で、WHOの支援が、医療体制が不十分な途上国にとって、いかに大きな意味を持つのかを実感した。

   2月1日には1週間インドに行き、ニューデリーと南インドのチェンナイ、コーチで取材を進めた、訪印した初日に、インドのチャーター航空機が、大勢のインド人留学生を武漢から連れ帰ったというニュースが流れた。

   ここで吉岡さんは、インドと武漢の強い結びつきを知ることになる。武漢は北京に次いで大学の多い都市で、有名医科大学もある。インド国内で医師免許を取るのは学費も高く、難しいが、英語で講義をする武漢の医科大を卒業して試験に合格すれば、母国でも通用する医師免許を取得できる。このため、中国全土で数万人、武漢にも多くのインド人の若者が留学しているという。

   ここから吉岡さんの話は印中関係に及んだが、世界の対中関係の話は、後で一括して触れたいと思う。

   2月下旬に訪れたサウジアラビアでは、中国からの観光客がマスクを大量に買い占めていた。取材の目的だったG20財務相会議は開かれていたが、北京の代表団はコロナの影響で欠席していた。聖地メディナでの取材を終えて帰路についた直後、サウジは国境を閉ざした。

   3月上旬に訪ねたウズベキスタンでは、当初マスクをする人がおらず、むしろ乗り合わせたタクシーの運転手から、息子が留学している日本での感染状況をしきりに尋ねられたものだが、こちらもほどなくロックダウンされた。

   ともかく、アジア各国で迫るコロナ禍を肌に感じた吉岡さんの経験を聞くと、大波が崩れ去る寸前に、波の盛り上がりの力を借りて鮮やかに波を切るサーファーの姿を思い起こした。

春節の伝統行事で感染が一気に拡大

   吉岡さんは、まだ感染がピークを迎える前の1月25日、朝日新聞のコラム「多事奏論」で、「新型肺炎 『忖度』はウイルスを広げる」という文章で、早くも中国における「情報隠し」に警鐘を鳴らしていた。

   コラムは、新型コロナ調査で武漢市に赴いた専門家チームのリーダーが、鍾南山氏(84)であることに、まず注目する。習近平国家主席が封じ込めを指示した同20日、当局が認めてこなかった「ヒトからヒトへの感染」を国営放送の取材で初めて明言した。

   中国の呼吸器医学会を代表する鍾氏は、吉岡さんが上海支局に赴任して間もない2003年に「SARS(重症急性呼吸器症候群)」を取材した時にも、重要な役割を果たした。広州の病院で治療にあたっていた鍾氏は、実態を隠して幕引きを図る政府に対し、「医学的には抑え込んだとはいえない」と声を上げ、地方政府のごまかしなどを批判して英雄視された。

   その鍾氏は、2010年の新型インフルエンザでも各地を視察し、「死者数の発表は信じられない。ごまかしている地域がある」と述べ、「情報の透明性と公正さが感染拡大を防ぐ大前提」だと直言した。

   今回も重要な局面で起用された。吉岡さんは、習政権が「人々に情報を信じてもらい、部下や地方政府にウソをつかせぬよう、鍾氏の信用を使ったのだろう」と推測する一方、この日を境に地方政府発表の患者数が急増した事実を指摘する。

   吉岡さんは、胡錦涛前政権発足時に起きたSARSの流行時に、感染そのもの以上に「情報隠し」が国民からの強い反発を招き、政権は良心的な医師らの声を評価することで、感染症の蔓延が反政府運動に向かうことを食い止めた、という。だが習政権で言論の統制は強まり、ネットは監視の道具となった。政治闘争を兼ねた腐敗撲滅では成果をあげたが、政権内の異論封じが「過剰な忖度」を招くようになった、という。自らの専門分野で、権力におもねらず自らの考えを述べる人の声は、いざというときに説得力を持って響く。「逆に言えば、こうした人々の存在は、国家や組織の統治の危機管理としても必要なのだ。トップが目を背けたくなる事実を遠慮なく提示できる専門家は、社会の力だと思う。なにも、中国だけの話ではないけれど」。コラムはそう結ばれている。

   このコラムには、吉岡さんの対中取材の姿勢がよく出ていると思う。吉岡さんは、中国の人権侵害や言論統制の実態を厳しく追及する一方、当局者や共産党員でありながら、まっとうな発言を続けている人々の声にも耳を傾け、「問答有用 中国の改革派19人に聞く」(岩浪書店)などにまとめてきた。

   では、今回のコロナ禍で、吉岡さんは現段階で、政権の対応をどう評価するのか。吉岡さんは、封鎖が続く人口1100万人の武漢市にとどまり、身辺の出来事や社会への思いを率直にブログで発信し続けた作家方方さんの「武漢日記」を精読し、知人らへの取材を通して、次のように言う。

「すでに昨年12月には、武漢でウイルスが広がっていることは、一部の市民の間で知られていた。しかし、1月20日に習主席が封じ込めを指示し、続いて法定伝染病に指定し、23日に武漢を封鎖するまで、当局はヒトからヒトへの感染のアラートを出さず、感染拡大を招いてしまった。この3週間の初動の遅れが決定的だった」

   武漢中心病院に勤務する眼科医の李文亮医師は昨年12月30日、医師らでつくるSNSのグループチャットに「7人がSARSにかかり、私たちの病院に隔離されている」と投稿した。これを問題にした警察は1月3日に李医師を呼び出し、社会秩序を乱す発言をしたとして訓戒処分にした。国営メディアも、「原因不明の肺炎についてデマを流し、8人が処分された」などと報道した。だが同9日、当局は新型コロナウイルスが検出されたと発表し、李医師の指摘が正しかったことが証明された。治療にあたった李医師は同12日に感染の疑いで入院し、呼吸器をつける自分の画像をSNSに投稿するなど警鐘を鳴らし続けたが、2月7日に病院で亡くなった。

   李医師の告発は、1月下旬には中国メディアにも広く取り上げられ、SNSには「勇敢な行動だった」という声も広がった。

   しかし、こうした告発を無視し、むしろ黙殺した地方当局は、春節を迎える前の1月下旬、武漢の伝統行事「万家宴」を中止せずに感染の拡大を許した。これは武漢中心部の巨大集合住宅で、数万の住人が食事を持ち寄って春節を祝うこの大宴会で、これによって感染は急速に市中に広がったという指摘もある。

地方の責任は断罪しても中央への批判は許さない

   中国では3月5日に全国人民代表会議(全人代、中国の国会に相当)が開かれることになっていた。1年間の中国の基本政策を決める重要な節目で、この全人代を終えてから、習国家主席は訪日する予定だった。

   実際には、全人代の常務委員会は2月24日、全人代の延期を正式に決めた(のち5月22日から開催)。しかし、この全人代に合わせ、1月には地方政府での全人民代表会議が開かれることになっており、その準備が進められていた。吉岡さんは、湖北省、武漢市の当局者はこの政治日程に縛られ、中央政府も春節前の混乱を避けたがっていたため、アラートを発するのが遅れた可能性を指摘する。

   では、こうした初動の遅れに対し、政権はどう対応したのか。習政権は2月13日、湖北省トップの同省党委の蒋超良書記を更迭し、習主席の側近だった応勇上海市長を後任に充て、同じく武漢市トップの同市党書記委の馬国強書記の代わりに山東省済南市党書記委の王忠林書記を充てた。地方政府の責任を明確にする人事だ。

   新型コロナの感染をいち早く告発し、逆に戒告で口を封じられた前述の李文亮医師についても、腐敗を取り締まる国家監察委員会が2月7日、党中央の承認を得て武漢市に調査グループを派遣すると発表。調査チームは3月19日、李氏の行為が正当だったことを認め、「警察が訓戒書を作成したのは不当」と結論づけて、関係者の責任を追及することを明らかにした。

   こうして不手際や不当な行為の責任が明確にされ、関係者が更迭・処分されるなら、中国でも理非曲直は明らかになり、事態は改善されるのではないか。ここから先は、私自身の感想になるが、そうした見方は誤っている。

   中国共産党は中央政治局常務委員(現在は7人)をトップとするピラミッド組織であり、その下に、拡大版の中央政治局員や、その事務処理をする中央書記処委員などが置かれている。共産党の指導部に入るためには、各省、各市、直轄市などで実績を挙げねばならず、政権は地方の党幹部の人事を差配することによって全国に権力を行使し、自らの政治基盤を固める。

   党内に強固な基盤を持たないまま政権の座に就いた習氏は、自らが率いた地方政府時代の側近を中央に引き上げる傾向が強まり、逆に胡錦涛前政権、その前の江沢民政権時代に影響力のあった要人を、腐敗撲滅の御旗のもとに次々に摘発した。

   ここに、地方の共産党幹部が腐敗や不正を隠し、中央の覚えめでたいように過度な「忖度」に走る温床がある。中央政府は、地方の腐敗や不正の告発には一見寛容に見えるが、その批判が党中央に向かうことは許さない。今回のように、地方政府や警察の責任を問うことにおいては果断であっても、それが中央に及びそうになれば、厳しい言論統制によって封じ込める。

   方方さんの「武漢日記」についても、その海外出版が決まると国内で激しいバッシングが起きた。武漢市にある湖北大は6月20日、過去にSNSで方方さんを支持したり、香港での抗議デモに理解を示したりした同大の梁艶萍教授について、「共産党の政治規律に違反し、社会に悪影響を与えた」として、党籍をはく奪し、学生への指導資格を取り消す処分をした。党の威信に対する挑戦は許さない、という点で、共産党は一枚岩なのである。

   こうした私の懸念に対して吉岡さんは、問題は「中央政府が、初期対応の遅れについて検証しないことにある」という。なぜ、どこで対応を間違えたのかを明らかにしなければ、いかに外交攻勢で他国に医療物資を支援しようとも、国際社会は素直には受け取れない。それ以上に、今後の対応にも生かせないというのだ。過ちを公に検証できないことが、一党独裁体制が抱える大きな問題だ、との指摘である。

   もっとも、この初期対応の遅れについては、中国政府に「正常化バイアス」が働いていたという見方が、専門家の間にはある、とも吉岡さんは指摘する。

   たとえば習国家主席は1月17、18日にミャンマーを公式訪問している。中国でも国内で大きな問題が発生していれば、外遊を取りやめる。こうした首脳外交を予定通り続けたのは、政権上層部が、新型コロナをそれほど大きな問題と、とらえていなかったからではないか、という見方だ。

   だが悪意はないとしても、その代償は大きすぎた、と吉岡さんはいう。犠牲者は武漢市とその周辺に集中した。

「武漢で亡くなった人々に謝らず、むしろ新型コロナ制圧に感謝を求めたり、世界をコロナから救う『救世主』と誇ったりするようでは、マスク外交の効果が限られるばかりか、かえって中国政府に対する信頼を損ねるような気がします」

追跡と監視の仕組みはこうなっている

   今回の中国のコロナ対応で、武漢閉鎖という強硬措置と共に世界の注目を集めたのは、ITを駆使した感染者追跡システムだった。

   武漢封鎖のあと、中国政府が全土への感染拡大を防止するために採用したのが、ITを駆使したウイルス追跡システムだった。

   5月26日付米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)によると、このシステムの公式名は「アリペイ健康コード」。浙江省杭州市の当局と、同市に本社を置くアント・フィナンシャル・グループが2月に共同開発し、すぐに中国全土200都市に導入された。ちなみに、同社はアリババの傘下にあり、世界最大規模のオンライン決済「アリペイ」を運用し、海外にも進出している。

   このアプリをスマホに落として個人情報、最近の旅行履歴、健康状態などを打ち込むと、感染リスクの低い順に、緑、黄色、赤色の色彩QRコードが割り当てられる。緑であれば、通行は自由だが、黄色は1週間、赤色は2週間の自宅待機を要請され、行動が制約される。市民は職場や駅、スーパーなどの入り口で検温すると同時に、この色彩コードをチェックされ、緑であれば自由に出入りを許される。

   だが同紙によれば、問題は二つある。一つは、当局も同社もシステムの詳細を明かさず、どのようなデータ、どのような仕組みを使って色彩の振り分けをしているのか、利用者にもわからない点だ。急に色彩が変わったり、黄色や赤色に識別されたりしても、その理由は明らかにされない。二つ目は、同紙が分析したところ、アプリには個人情報や位置情報が地元警察のサーバーに送られるプログラムが組み込まれている点だ。アプリは交通機関や公共施設など、至るところでチェックされ、情報が蓄積されるので、特定個人の追跡も可能だ。

   感染拡大防止のために導入されたアプリだが、そのデータがどう使われ、収束後にその個人情報が廃棄されるかどうかもわからない。同紙の取材では、杭州市当局は、このシステムをさらに向上させた「個人情報インデックス」を企画しているという。これは睡眠時間や歩行数、飲酒・喫煙などの生活習慣を数値化し、1から100までの指標にするという構想だ。

   そうなれば、こうした個人情報が就職や昇進、さらには解雇などの根拠に使われかねない。まさに、医療や健康など「公共の福祉」に名を借りた「監視システム」といえる。

   中国はすでに2008年の北京五輪、2010年の上海万博といった大イベントを通して、監視システムを更新してきた。今回のコロナ禍は、デジタル・プライバシーの自発的提供を促し、そのシステムをさらに精緻化する機会になりかねない。

   アプリ導入は個人の自由なのだから、もしデジタル・プライバシーを守りたいなら、導入しなければよい。そう思う方もいるだろう。だが同紙3月1日付(電子版)の記事によれば、2月24日のブリーフィングで浙江省当局は、その時点ですでに同省の人口の9割にあたる5千万人がアプリを導入し、98・2%が「緑」だと説明していた。

   5月26日付の記事では、同月に杭州市の警察当局が発表した「朗報」を伝えている。24年前に殺人事件を起こして逃走していた容疑者が、警察に自首してきたという。その男は、「健康コード」の認証が得られなかったため、どこにも行けず、どこでも働けず、数日路上で過ごした末に、警察に出頭してきたのだという。個人の「選択の自由」が、どこまで中国社会で認められるかを明かすエピソードといえるだろう。

コミュニケーションによる信頼の確立か力による代替か

   コロナ禍が広がる中で、権威主義・独裁国家と、民主主義国家のどちらがより有効に感染防止に対処できるか、という議論が起きた。

   前者の主張は、最大の民主主義国家である米国を始め、英国、フランス、イタリアなどがことごとく失敗しているという点だ。反面、都市封鎖という強硬手段や、ものを言わせぬ追跡システムで感染を封じ込めた中国の利点をあげる人もいる。

   後者の主張が引用するのは、民主主義を勝ち取り、情報公開を徹底させた台湾や韓国、あるいは戦後に民主主義を徹底させたドイツなどを論拠にあげることが多い。

   しかし、吉岡さんは、「民主主義体制だから対処がうまくいっていると思いたいが、欧米の状況をみると現時点で体制間の競争に優劣をつけるのは難しい」という。

   韓国や台湾は、それぞれ北朝鮮、大陸中国と対峙し、ある意味で「戦時」に近い緊張状態にある。市民も「有事」には私権の制限を受け入れやすい緊張感が土壌としてある。中国や東南アジアの国々を含めて、SARSでの苦い体験を経て獲得した対応でも共通している。単純に、政治体制で比較することでは説明しきれないだろう、という指摘だ。

「民主主義体制であっても、明暗を分けるのは、まずは危機感の違いだと思う。新型コロナをアジアの感染症と油断した欧米と比べると、アジアの国々は当事者意識を強く持って対応した。さらに、台湾や欧米の先進国でも比較的うまく対処したニュージーランドやドイツをみると政権が国民に対するコミュニケーション能力に優れている点が目立つ。コロナ問題だけに突出したものではない。日頃からの政権の国民に対する姿勢と、それによってうまれた国民の信頼感ではないか。いろいろな施策を打ち出しても、それを受け入れるかどうかは結局、国民の判断。うまくいった民主主義体制に共通するのは、情報を積極的に素早く公開し、政策の目的を国民と共有できた国なのだろうと思います。それを権威主義の国では力で代替している。どちらが目指すべき社会であるかは、はっきりしているのではないでしょうか」

   北京ではこのところ、再び感染が拡大し、緊張状態が続いている。だが当局はロックダウンを感染集中区域に限定し、社会活動を続けながら感染抑止を目指そうとしている。経済活動の早い復活にも乗り出している。こうしたことから、まだ感染に歯止めがかからない米国と比べ、「コロナ後」の世界の覇権は中国が握る、との観測も出始めている。

   この点について吉岡さんは、トランプ大統領が再選されるか、民主党のバイデン候補が選ばれるかによって、かなり変わる部分と、変わらない部分があるという。

   変わらない点からいえば、中国の覇権に対する警戒心だ。10年ほど前までは、米国内にも、中国に関与し、国際秩序のステーク・ホルダーとして責任ある行動を取らせるという議論があった。また中国側にも、グローバリゼーションに対応して変革を目指す動きもあった。だがこの間、習政権がますます覇権を目指す「強国」路線を強めたため、米国政府内の安全保障や科学技術面での警戒は強まり、国民の対中感情は悪化した。民主党でもオバマ前政権の末期からは、こうした論調が強まっていた。バイデン候補が当選しても、覇権争いの構図には基本的な変化がないだろう、と吉岡さんはいう。

   だが、変わるとすれば、その手法や、とりわけ他の諸国との関係だ。バイデン政権になった場合は、「自国第一主義」を鮮明にしたトランプ政権とは違って、国際協調主義に振り子が戻り、とりわけ欧州との協調関係が再構築される可能性がある、と吉岡さんは指摘する。

   その判断の指標として吉岡さんが注目するのは、「戦狼外交」だ、これは外務省報道官の1人である趙立堅氏らが、欧米の主張に真っ向から反論し、議論を挑む外交姿勢を評して欧米のメディアがつけた名前だ。

   「戦狼」は2015年に公開され、2年後には続編も出て中国で大ヒットしたアクション映画のタイトルだ。私も続編を見たが、アフリカの戦乱に巻き込まれた同胞を救うため、特殊部隊「戦狼」の主人公が孤軍奮闘して窮地を乗り切る中国版「ランボー」のような作品だ。「どれほど離れていても、中国を侮辱する者は代償を払う」というコピーに象徴されるように、誹謗中傷や暴力には、力で反撃するという「愛国」の旗印を鮮明にしている。

   中国は1989年の天安門事件で国際社会から孤立して以来、外交政策では「韜光養晦」を基本としてきた。日本語にも「韜晦(とうかい)」という言葉があるように、「本来の才能を隠し、時期を待つ」という意味で、公の場では目立つような振る舞いは避け、力を蓄える外交姿勢を指す。

   「戦狼」とは、まさにそうした従来の姿勢をかなぐり捨て、批判には真っ向から反論する攻撃的な姿勢を指す。今回のコロナ禍でも、「武漢ウイルス」と命名して中国の責任を追及するトランプ政権に対し、中国外務省が「証拠を出せ」と反論したのが、その典型例だ。しかし、この「戦狼」への変貌には、中国社会で強まる民族主義を背景に、トランプ政権の中国攻撃に対する反撃が、エスカレートした結果、という側面もある。

「新冷戦」は起きるのか起きないのか

   「日本では米政権が交代してもしなくても、米国と緊密な関係を軸に外交を展開するでしょう。しかし、欧州でも中国への警戒は近年増しています。トランプ政権の姿勢に辟易していたドイツなど一部の国は米国の政権交代に伴い、関係を再構築したいと考える可能性がある。気候変動における協力も復活するかたちで進むはずです」と吉岡さんはいう。

   中国は、「一帯一路」戦略によって、開発途上国にインフラを輸出し、経済的な依存を深め、国際的なプレゼンスを高めようとしてきた。米国は、日本を初めとする中国周辺の諸国家を糾合し、その「膨張」を封じ込めようとしてきた。その構図だけを見れば、新たな覇権を目指して影響圏を拡大する中国と、それを封じ込めようとする米国中心の国家群とは対立する「新冷戦」であるかのような印象を受ける。

   「たしかに、『新冷戦』という言葉が当てはまるほど、米中の覇権争いは緊張度を増している。ただ、通商や外交、その他の国際関係で、互いの影響圏をデカップリング(切り離し)した冷戦時代とは、時代背景が違います」と吉岡さんは指摘する。

   冷戦時代に旧ソ連は、衛星国家の東欧諸国を従え、欧州では分断国家の旧東独を最前線に、米国を盟主とするNATO(北大西洋条約機構)と対峙した。アジアでは、日本、韓国、台湾、フィリピンなどと2国間条約によって軍事同盟を結び、旧ソ連・中国の膨張を食い止めようとした。世界は東西の盟主のいずれかに従うよう強いられ、各地でその代理戦争が、「局地戦」のかたちで頻発した。通商や外交、文化、スポーツなど、あらゆる分野で互いを切り離し、域内のみで循環する「デカップリング」の時代だったといえる。

   米中の覇権争いが熾烈になることは間違いない。しかし、かつての冷戦のように、世界がすぐさま全面的に米中の勢力圏に二分されることは想像しにくい、と吉岡さんはいう。それは、イデオロギーの対立が明確ではなく、国境を越えて利害が錯綜しているからだ。世界がグローバル化し、互いに緊密な経済・通商の依存関係を深めており、切り離すコストが大きい。さらに地球温暖化などの環境問題や、新型コロナウイルスのように、課題もまた、グローバル化しているからだ。

   米中の勢力圏の色分けは曖昧で、事情は一筋縄ではいかない。吉岡さんは、その例としてインドを挙げる。

   独立インドと革命後の中国は、1959年にチベットのダライ・ラマ14世がインドに亡命政府を構えて以降、1962年の国境紛争などで、しばしば軍事衝突を繰り返してきた。2017年6月にも、ドラクム高原で中国側が開始した道路建設をめぐって両軍が小競り合いを起こし、2か月にわたってにらみ合う緊張が続いた。

   米国は、核保有国になったインドと、2007年に米印原子力協定を結ぶなど、中国の膨張に歯止めをかける存在として、インドとの連携を深めた。これだけを見れば、インドは、中国の覇権を封じ込める「新冷戦」で、米側に与しているかに見える。

   しかし、それだけではない。インドのモディ首相は2018年4月、2日間にわたって武漢市を訪問し、中国の習国家主席と非公式の首脳会談に臨んだ。両首脳は、「より緊密なパートナーシップと交流」を約束し、この歩み寄りは中国側で「武漢精神」、インド側では「ウーハン・スピリッツ」と呼ばれた。

   昨年10月には、インド側の招きで習国家歌主席がインド南部のチェンナイを訪れ、第2回の非公式首脳会談に臨んだ。吉岡さんがチェンナイに取材に行ったのも、その会談に対するインド側の反応を探るためだった。

   その後も、国境をめぐる両軍の衝突で死者を出すなど緊張関係は続いており、インド側の対中批判も強まっている。しかし、世界で人口第一、第二の大国がリスク管理をしようと対話を閉ざさないことは見過ごせない。

   「インドはもともと独立外交を唱え、冷戦下でも非同盟の立場をとった。中印の長い国境は不安定だが、現時点ではそれをエスカレートさせないという自制が働いている」と吉岡さんはいう。

   これはインドに限らない。欧州連合のメンバーであるハンガリーが中国との距離を縮める動きも、中国陣営に入るというわけではなく、ロシアへの対抗やEU内での存在感を高める狙いがある。インドの隣国スリランカ、バングラデシュ、ネパール、モルディブにしても、インフラ建設の受け入れで中国の「一帯一路」に傾斜しているように見える。しかし、地域の大国インドとの関係は深く、インドとの交渉材料に中国をダシにしている側面は否めない。中国側になびくという見せかけの「遠心力」をテコに、地域の中で存在感や発言権を強めようとする深慮が働いている可能性がある。

「少なくない国が、中国に接近しているように見えるのは、民主や人権を求める欧米と違って、自らも権威主義の中国は黙って投資をしてくれるだけでなく、トランプ政権が自国第一主義に走り、国際協調を軽んじてきた結果、という側面がある」

   では中国の覇権のもとで、米国の覇権と対峙するかといえば、中国にそこまでの求心力はない。

「中国は『一帯一路』に賛同している国々を『朋友圏』と呼んでいますが、彼らを抱え込む負担を担える、とも考えていないのではないでしょうか。かつての冷戦下では、米国の勢力圏に加われば、安全保障面でも経済・通商面でも、有利になるという計算が働いていた。でも今は、いずれかの覇権に与することが、有利になるという計算がかなう国ばかりではありません。欧州も経済については中国をパートナーという認定から外すこともできない。『中国の野心』ばかりが取りざたされていますが、これは内向きになる一方の『アメリカ問題』でもあるのです」

   コロナ禍で、今年の米大統領選がどうなっていくのか。それは、コロナ禍そのものと同じほど、世界に大きな変化をもたらすのかもしれない。吉岡さんの話を聞いて、そう思った。

ジャーナリスト 外岡秀俊




●外岡秀俊プロフィール
そとおか・ひでとし ジャーナリスト、北大公共政策大学院(HOPS)公共政策学研究センター上席研究員
1953年生まれ。東京大学法学部在学中に石川啄木をテーマにした『北帰行』(河出書房新社)で文藝賞を受賞。77年、朝日新聞社に入社、ニューヨーク特派員、編集委員、ヨーロッパ総局長などを経て、東京本社編集局長。同社を退職後は震災報道と沖縄報道を主な守備範囲として取材・執筆活動を展開。『地震と社会』『アジアへ』『傍観者からの手紙』(ともにみすず書房)『3・11複合被災』(岩波新書)、『震災と原発 国家の過ち』(朝日新書)などのジャーナリストとしての著書のほかに、中原清一郎のペンネームで小説『カノン』『人の昏れ方』(ともに河出書房新社)なども発表している。

姉妹サイト