地方の責任は断罪しても中央への批判は許さない
中国では3月5日に全国人民代表会議(全人代、中国の国会に相当)が開かれることになっていた。1年間の中国の基本政策を決める重要な節目で、この全人代を終えてから、習国家主席は訪日する予定だった。
実際には、全人代の常務委員会は2月24日、全人代の延期を正式に決めた(のち5月22日から開催)。しかし、この全人代に合わせ、1月には地方政府での全人民代表会議が開かれることになっており、その準備が進められていた。吉岡さんは、湖北省、武漢市の当局者はこの政治日程に縛られ、中央政府も春節前の混乱を避けたがっていたため、アラートを発するのが遅れた可能性を指摘する。
では、こうした初動の遅れに対し、政権はどう対応したのか。習政権は2月13日、湖北省トップの同省党委の蒋超良書記を更迭し、習主席の側近だった応勇上海市長を後任に充て、同じく武漢市トップの同市党書記委の馬国強書記の代わりに山東省済南市党書記委の王忠林書記を充てた。地方政府の責任を明確にする人事だ。
新型コロナの感染をいち早く告発し、逆に戒告で口を封じられた前述の李文亮医師についても、腐敗を取り締まる国家監察委員会が2月7日、党中央の承認を得て武漢市に調査グループを派遣すると発表。調査チームは3月19日、李氏の行為が正当だったことを認め、「警察が訓戒書を作成したのは不当」と結論づけて、関係者の責任を追及することを明らかにした。
こうして不手際や不当な行為の責任が明確にされ、関係者が更迭・処分されるなら、中国でも理非曲直は明らかになり、事態は改善されるのではないか。ここから先は、私自身の感想になるが、そうした見方は誤っている。
中国共産党は中央政治局常務委員(現在は7人)をトップとするピラミッド組織であり、その下に、拡大版の中央政治局員や、その事務処理をする中央書記処委員などが置かれている。共産党の指導部に入るためには、各省、各市、直轄市などで実績を挙げねばならず、政権は地方の党幹部の人事を差配することによって全国に権力を行使し、自らの政治基盤を固める。
党内に強固な基盤を持たないまま政権の座に就いた習氏は、自らが率いた地方政府時代の側近を中央に引き上げる傾向が強まり、逆に胡錦涛前政権、その前の江沢民政権時代に影響力のあった要人を、腐敗撲滅の御旗のもとに次々に摘発した。
ここに、地方の共産党幹部が腐敗や不正を隠し、中央の覚えめでたいように過度な「忖度」に走る温床がある。中央政府は、地方の腐敗や不正の告発には一見寛容に見えるが、その批判が党中央に向かうことは許さない。今回のように、地方政府や警察の責任を問うことにおいては果断であっても、それが中央に及びそうになれば、厳しい言論統制によって封じ込める。
方方さんの「武漢日記」についても、その海外出版が決まると国内で激しいバッシングが起きた。武漢市にある湖北大は6月20日、過去にSNSで方方さんを支持したり、香港での抗議デモに理解を示したりした同大の梁艶萍教授について、「共産党の政治規律に違反し、社会に悪影響を与えた」として、党籍をはく奪し、学生への指導資格を取り消す処分をした。党の威信に対する挑戦は許さない、という点で、共産党は一枚岩なのである。
こうした私の懸念に対して吉岡さんは、問題は「中央政府が、初期対応の遅れについて検証しないことにある」という。なぜ、どこで対応を間違えたのかを明らかにしなければ、いかに外交攻勢で他国に医療物資を支援しようとも、国際社会は素直には受け取れない。それ以上に、今後の対応にも生かせないというのだ。過ちを公に検証できないことが、一党独裁体制が抱える大きな問題だ、との指摘である。
もっとも、この初期対応の遅れについては、中国政府に「正常化バイアス」が働いていたという見方が、専門家の間にはある、とも吉岡さんは指摘する。
たとえば習国家主席は1月17、18日にミャンマーを公式訪問している。中国でも国内で大きな問題が発生していれば、外遊を取りやめる。こうした首脳外交を予定通り続けたのは、政権上層部が、新型コロナをそれほど大きな問題と、とらえていなかったからではないか、という見方だ。
だが悪意はないとしても、その代償は大きすぎた、と吉岡さんはいう。犠牲者は武漢市とその周辺に集中した。
「武漢で亡くなった人々に謝らず、むしろ新型コロナ制圧に感謝を求めたり、世界をコロナから救う『救世主』と誇ったりするようでは、マスク外交の効果が限られるばかりか、かえって中国政府に対する信頼を損ねるような気がします」