中国に詳しい朝日新聞記者、吉岡桂子さんに聞く
「中国式」をどう評価したらよいのか。6月28日、朝日新聞編集委員の吉岡桂子さんにZOOMでインタビューをした。
吉岡さんは2003年~04年に上海、04年~07年と、10~13年の2度にわたって北京に駐在し、大国に急成長する中国を間近に見てきた。2度にわたる北京駐在の間には、米国の首都にある「戦略国際問題研究所(CSIS)」の研究員として、米国での中国観などの調査にあたった。その後しばらくは日本を拠点に中国をウォッチしてきたが、3年前からはバンコク駐在編集委員として、主にアジアをフィールドとして、「グローバル化する中国」を現場で取材してきた。通算8年にわたる大陸取材とその後のアジア取材を通して、いつも大局的な視点と現場感覚を併せ持ったコラムやルポを書いてきた。
吉岡さんの最近の大きなテーマの一つに、「一帯一路(いったいいちろ)」がある。これは2014年11月に北京で開かれたアジア太平洋経済協力首脳会議で習近平国家主席が提唱した広域経済圏構想だ。「一帯」はユーラシア大陸を通って欧州に通じる「シルクロード経済ベルト」を指し、「一路」は中国沿岸部からアジア、中東、アフリカの海に至る「21世紀海洋シルクロード」を指す。つまり、古代から大陸に至る陸上・海上二つのシルクロードを21世紀に再現し、通商のみならず、インフラ整備、投資を活発にして、中国との絆を強めるという世界戦略だ。
吉岡さんはここ数年、中国による関係国への鉄路やインフラ、投資などを、現地でつぶさに目撃し、記録にとどめてきた。
これだけ広域にわたる取材は、地域別に取材を分担する現地駐在の特派員の手に負えない。交通の要衝バンコクを拠点に、アジア・中東から欧州までを取材する編集委員の出番である。
コロナ禍が拡大した1月以降、訪れたのはすべて第3国だったが、行く先々でアジアの国々に、最初の感染の波頭が届く現場に出くわした。1月下旬に訪れたミャンマーでは、入国時には検温チェックもなかったが、滞在数日のうちに検疫態勢が強化され、どうやって留学生を救済するかという議論が始まった。
続いて中国と国境を接するラオスに入ると、中国人労働者が多いせいか、政権は極度の緊張に包まれていた。衛生当局は、世界保健機関(WHO)から派遣された職員と連日のように会って意見交換をし、シミュレーションを重ねた。コロナ型ウイルスに備えるのは初めての経験で、WHOの支援が、医療体制が不十分な途上国にとって、いかに大きな意味を持つのかを実感した。
2月1日には1週間インドに行き、ニューデリーと南インドのチェンナイ、コーチで取材を進めた、訪印した初日に、インドのチャーター航空機が、大勢のインド人留学生を武漢から連れ帰ったというニュースが流れた。
ここで吉岡さんは、インドと武漢の強い結びつきを知ることになる。武漢は北京に次いで大学の多い都市で、有名医科大学もある。インド国内で医師免許を取るのは学費も高く、難しいが、英語で講義をする武漢の医科大を卒業して試験に合格すれば、母国でも通用する医師免許を取得できる。このため、中国全土で数万人、武漢にも多くのインド人の若者が留学しているという。
ここから吉岡さんの話は印中関係に及んだが、世界の対中関係の話は、後で一括して触れたいと思う。
2月下旬に訪れたサウジアラビアでは、中国からの観光客がマスクを大量に買い占めていた。取材の目的だったG20財務相会議は開かれていたが、北京の代表団はコロナの影響で欠席していた。聖地メディナでの取材を終えて帰路についた直後、サウジは国境を閉ざした。
3月上旬に訪ねたウズベキスタンでは、当初マスクをする人がおらず、むしろ乗り合わせたタクシーの運転手から、息子が留学している日本での感染状況をしきりに尋ねられたものだが、こちらもほどなくロックダウンされた。
ともかく、アジア各国で迫るコロナ禍を肌に感じた吉岡さんの経験を聞くと、大波が崩れ去る寸前に、波の盛り上がりの力を借りて鮮やかに波を切るサーファーの姿を思い起こした。