「可視」と「不可視」で読み解く意識の変化
これも前述の唐澤書で触れているが、小学校の2年生の国語教科書に「しひの木とかしのみ」という童詩が掲載されている。かしの実は山の中から転げ落ち、ひとに踏まれながら耐えている。一方で山のふもとのしいの木は、悠然と足元には草も寄せ付けずに佇立(ちょりつ)している。
かしの実は、今に見ていろ、僕だって見上げるほどの大木になってみせる、という内容である。この童詩の二番の歌詞は 、「何百年かたった後、山のふもとの大木は、あのしひの木か、かしの木か」という内容である。かなり示唆に富む歌詞なのだが、これを子供に教えるということは、忍耐であり、将来への不屈の精神である。むろん立身出世を鼓舞する意味もないとは言わないが、しかし大正時代の精神という視点で見るならば、この解釈はある広がりを持っていることは認めなければならない。
付け加えるならば、この童詩は昭和の第4期の教科書にも取り入れられている。ただし、その歌詞にはいかにも軍国主義の時代にふさわしいように、軍事大国を目指すかのように歌詞の一部は変えられている。この変化の中に教科書が時代の波をかぶる存在であることを裏づけることにもなっている。
私があえて近現代史を「可視」と「不可視」という尺度をもって見ていこうというのは、こうした変化の中に私たちの意識の変化があり、それが結局は歴史の意識と結びついて歴史解釈に至るからである。私たちの歴史意識というのは、可視と不可視を交錯させることで、あるイメージを生み出すことになる。それこそが貴重な遺産なのである。(第50回に続く)
プロフィール
保阪正康(ほさか・まさやす)
1939(昭和14)年北海道生まれ。ノンフィクション作家。同志社大学文学部卒。『東條英機と天皇の時代』『陸軍省軍務局と日米開戦』『あの戦争は何だったのか』『ナショナリズムの昭和』(和辻哲郎文化賞)、『昭和陸軍の研究(上下)』、『昭和史の大河を往く』シリーズ、『昭和の怪物 七つの謎』(講談社現代新書)、『天皇陛下「生前退位」への想い』(新潮社)など著書多数。2004年に菊池寛賞受賞。