後押しする暖かい空気が今も
順調に見えていた橋本さんの芸能活動ではあるが、積極的にアイドルを目指していた訳ではなかった。東京の美術大学に通っていたが、奨学金は全て学費の支払いに費やされ、生活費をまかなうために乃木坂46のオーディションを受けたとしばしば述懐している。 CanCam専属モデルに抜擢されたように恵まれたルックスを持ちながら、どことなく儚さや影がつきまとっていたと評されていたのもそのような背景があっただろう。
卒業を決意したきっかけは前年に母親から送られた「無理しないで、もう好きなことをしてね」という手紙が後押しになり、弟も学費が免除になり自立して大学生活を送れるようになったことだった。
もともと多忙な日々の中でも自身のアイドルとしての終着点は見据えていたようで、「私が辞めても家族がちゃんと暮らしていけるような環境を全部整えて、娘をこうやって育ててよかったって両親に思ってもらえるようになったら、やってきた意味があったと思える」「家族がやっていけるまで活動する、目標ははっきりしている」(映画「悲しみの忘れ方 Documentary of 乃木坂46」より)華やかな芸能界にいながら地に足のついた人生観を一貫して持っていた。
このような献身的な姿勢は家族に向けてだけではなかったようで、同期メンバーの秋元真夏さんは、「なかなかななみんを真似して同じことをするっていうのは難しいんですけど、ななみんが今までやっていたように周りを冷静に客観視してメンバーと接するところとか、10代の頃からずっと大人の視点で若いメンバーを支えてあげれるようなところは私にもできたらいいなって思います」(アイドル@Utatenインタビュー 2016年11月1日付)と語っている。
芸能活動皆無で乃木坂46に加入し「毎日が必死で...目の前にどんどん新しいことが起こるから、そこには弟がとか家族がとかなくて、とりあえずやらなきゃくらいの気持ち」(前出のバナナマンとの対談より)という環境の中でも、グループ・家族・ファンに尽くしてきた姿を覚えている人は多く、引退を明言した潔さも称賛された。苦労人だった橋本さんに、今後は自身の思う道を進んでほしいと後押しする暖かい空気が今も残っている。