出発点となったある若者との出会い
アスリートのセカンドキャリアを支える――中田氏がこうした事業を起こすきっかけとなった出来事がある。「4年半ほど前、ある若者との出会いが僕の出発点でした」。その男性Aさんは、高校時代に野球部で甲子園に出場し、スポーツ推薦を受けて鳴り物入りで名門大学へ。だが入学後、地方出身の無名選手にポジション争いで敗れてしまった。
その現実を受け入れることは、Aさんのプライドが許さなかった。必死で練習したが、体は耐えられなかった。肩と肘を壊し、野球ができなくなってしまったのだ。大学も辞めた。そしてアルバイトを転々としていたAさんに、中田氏は出会った。
「『僕の人生のピークは20歳ですよ』と拗ねていたんです。でも、そんなわけない。『野球では確かに20歳がピークだったかもしれないけれど、人生は長いんだぞ』と背中を叩いて、ビジネスの世界で生きていくための実学を教えることにしたんです。『社会の動きはこうなっている』『引退した選手はこうやってキャリアを築いてる』と色々教えました。就職の世話もしたんです」
ビジネスパーソンとして第2の人生を歩み始めたAさんに、中田氏は言われた。「僕みたいに社会に馴染めなくて困っている元アスリートはたくさんいます。中田さん、救ってあげてください」。これが日本営業大学の発想の原点となった。
中田氏自身、大学時代まで野球一筋、日本代表まで経験した元アスリート。ビジネスの世界では中小企業診断士の資格を持ち、数多の経営者を見てきた。「今後、アスリートのセカンドキャリアが日本の課題になってくるに違いない。力になりたい」。中田氏は自身の経験を生かしながら、日本営業大学の立ち上げに向けて動き出した。
「選手たちの受け皿になりたいんです。『困ったらあそこに行けば何とかなる。だから今は現役で頑張ろう』と思ってくれれば」と語る中田氏。それから約3年後の19年2月、日本営業大学を20年4月に開学することをリリースした。