戦中日本の「旅行制限」 メディアは国民に「自粛」を迫った

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「自粛警察」と化した新聞

   いくら規制を強化しても限界があったのはコロナ禍と極めて似ている。そしてメディア、特に新聞は庶民の実態を報じるだけでなく、「自粛警察」さながらの見出しで引き締めにいそしんだ。

   1942年11月24日付朝日新聞には「足の自粛 まづ成績甲」の見出しに始まり、熱海・伊東・高崎の人出の減り具合を取材、何割減ったかと細かに伝えている。1943年4月4日の同紙もまた「用事の客は立往生 敵前行楽を追払え 列車に鈴なりの遊覧群」の見出しで、小田原・熱海・三島・沼津・日光の人出を観測し、出かける人々を「時局に相応しくない光景」「足の自粛調は未だしの感がふかかった」と報じている。44年1月18日にも「戦争に勝つためだ 旅行は取りやめ」と国民にハッパをかける見出しが踊る。

   読売新聞も43年10月17日付で「都民の自粛ぶり 連休第一日 足の戦闘配置」との見出しのもと、関東近郊の行楽地の駅の人出を報じていた。他にも「連休に乱れる足の自粛 また買出し行列 乗越禁止も知らぬ顔」(44年4月3日)「乗車証明を濫用 近郊へ自粛忘れた買出部隊」(44年7月3日)などと報じている。

   このコロナ禍でも、多くのメディアが主要駅の映像を映し出し、「人手が何割減ったか」とセンセーショナルに伝え続けたことは記憶に新しい。そしてまた、戦中の食糧難の中で買い出しに出かける人々にとってはとても不要不急などではなかっただろう。

   戦時中の「旅行」をめぐる一例を挙げたが、敗戦まで統制は様々な産業に及んだ。このような歴史は、今年前半の新型コロナの蔓延以降混乱が続く現代社会でも読み取れる教訓を残していそうだ。幸い当時と異なり憲兵も特高もいないのだから、戦争・災害といった緊急事態に社会はどうあるべきなのか、歴史を見つめつつ冷静に考えるべき時かもしれない。

(J-CASTニュース編集部 大宮高史)

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