戦中日本の「旅行制限」 メディアは国民に「自粛」を迫った

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「旅行ノ自粛徹底ヲ期スル」

   1944年2月25日に発令された「決戦非常措置要綱」では産業への統制が一層厳しくなるが、鉄道も例外ではない。同要綱の

「決戦非常措置要綱ニ基キ戦力増強並ニ防空疎開ニ必要ナル輸送ヲ強化スル為国民戦意ヲ昂揚シ旅行ノ自粛徹底ヲ期スルト共ニ旅客輸送(通勤及通学ヲ除ク)ノ徹底的制限ヲ実施セントス」

   という方針のもとに特急列車は全廃、44年4月1日から100㎞以内の乗車券は発売枚数制限を行い、100㎞以上の旅行については軍人・官吏は所属官庁の証明書、民間人は警察署などで取得した証明書がないと乗車券が発売されないとなった(『日本国有鉄道百年史』より)。しかしこの制限は警察署の作業を煩雑にするだけとのことで、9月には証明書制度は廃止になったが、臨時召集などの公務で移動する人のための証明書の発行は続いた。これがあれば行列の中でも優先的に切符を買えるのである。

   1945年6月からは東京・上野・新宿・横浜・大阪などの主要駅に旅行統制官が置かれ、申請された旅行内容に基づいて旅行を認めるようになった。旅行統制官による統制は終戦後の45年10月に制度が廃止されるまで続いた。

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