クリントン氏とメルケル氏が見せた「対話」の姿
平田氏によると、日本の政治家は中選挙区制を背景に「演説」や「会話」が得意な人が多かったが、小選挙区制度は「『あなたはそう思いますが、私はそう思います』ということの、『対話』のキャッチボールができる政治家を育てるはずの制度だったはず」。その理念も長期政権で失われつつある。
「結局政権交代がないので、自民党の中で公認を得なきゃいけない。そのためには自民党というムラ社会の中で、やっぱり『会話』の上手い人が、要するに『まあまあまあ、そこはひとつ』みたいな人が出世をしていってしまうというのが現状かと思う」(平田氏)
ここで平田氏は、市民との「対話」の例を2つあげながら、背景を「背負う」ことの意味を説いた。ひとつが1998年11月に米国のクリントン大統領(当時)が来日した際に「筑紫哲也NEWS23」(TBS)で行われたタウンミーティングだ。大阪からの中継で番組に参加した中年女性は、当時波紋を広げていた不倫問題を質問したが、クリントン氏は「それなりに、ちゃんと答えた」。
もうひとつが、ドイツのメルケル首相が20年3月に行った、移動制限への理解を求める演説だ。メルケル氏は、自らが旧東ドイツ出身だという背景を念頭に
「こうした制約は、渡航や移動の自由が苦難の末に勝ち取られた権利であるという経験をしてきた私のような人間にとり、絶対的な必要性がなければ正当化し得ない」
と述べている。平田氏は、こういった事例と日本を対比させる形で
「自分のバックグランドを背負って、ちゃんとしゃべる、というのが対話の概念だが、ここが非常に弱い」
「折り合いをつけたりするのがエンパシーの醍醐味だが、そこのところは時間がかかる」
とした。