2002年6月23日、さいたまスーパーアリーナのリングで日米の「侍」が対峙した。総合格闘技イベント「PRIDE.21」のメインイベントでドン・フライ(米国)と高山善廣が対戦し、壮絶な打ち合いの末、フライが1回6分10秒レフリーストップで勝利した。
格闘家のプライドをかけた真っ向からのド突き合い。日本格闘技界に語り継がれる伝説のファイトは、18年を経た今もなお色あせることはない。
わずか数十秒の打ち合いで高山の左目が...
第1ラウンド、コールを受けた両者はリング中央に歩み寄った。196センチの高山が185センチのフライを見下ろすようににらみつける。見上げるフライも決して視線を外さない。レフリーが両者を分けるまで約25秒間、にらみ合いが続いた。会場はいやがおうでも盛り上がり、ゴングを前にして早くも会場のボルテージは頂点に達した。
試合のゴングが鳴らされ、高山のジャブに対してフライがワンツーを打ち込む。ここから魂のド突き合いが始まった。パンチの応酬から互いに相手のクビをつかむようにして左手を固定。フライが赤コーナーを背にする形で互いに右フックを顔面に力いっぱい叩き込んだ。わずか数十秒の打ち合いで高山の左目が腫れだし、鼻周辺から出血が見られた。
その後も距離を詰めての打ち合いが続き、高山は右を差し左腕でフライを抱え込んで投げを打った。両者すぐに立ち上がり再びド突き合い。なりふり構わず左右フックを振り回し、フライのマウスピースが吹っ飛んだ。フライがロープを背にしながら互いに右を差した状態で小休止。ニュートラルコーナーに詰まった高山に疲労の色が見えるも決して後退せず攻め続けた。
「高山は本当にタフだった」
途中、大きく腫れあがった高山の左目にドクターチェックが入る。試合が再開されるとリング中央で再びド突き合いが始まった。そして高山がニュートラルコーナーにフライを詰めたところにフライが高山を浴びせ倒し、マウントポジションを奪った。フライは顔面、頭部を乱打し高山の反撃を許さない。最後はフライの右が高山の顔面を捕らえたところでレフリーが割って入り、壮絶なド突き合いに終止符が打たれた。
試合後、リング上には「勝者」も「敗者」も存在しなかった。観客は総立ちで2人のファイターを称え、リング上で高山がフライの右腕を高く上げた。フライは濃密過ぎる6分間をこう振り返った。
「高山は本当にタフだった。これまで戦ってき選手の中で最もタフだった」。
高山に対する最大級の賛辞だった。
当初、フライと対戦する予定だったマーク・コールマンのケガによる欠場で、大会1週間前に高山の代理出場が決定。後に高山がこの試合が大きな転機となったと振り返るように、フライとの一戦は日本の格闘技の歴史に大きな爪痕を残した。