外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(9)
台湾はなぜ抑え込みに成功したのか

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台湾に詳しい元朝日記者の野嶋剛さんに聞く

   なぜ台湾は新型コロナの封じ込めに成功したのか。6月10日、東京の自宅にいるフリー・ジャーナリストの野嶋剛さんにZOOMで話を聞いた。

   野嶋さんは、朝日新聞に入社してシンガポール、台北支局長などを務め、2016年からフリーになった。上智大在学中に香港中文大、朝日入社後に中国・アモイ大に留学し、中国・香港・台湾・東南アジアの華僑、つまり「華人社会」全域に通じた稀有なジャーナリストだ。シンガポール支局長時代には、イラク戦争の従軍記者となり、その後は「ふたつの故宮博物院」、「謎の名画・清明上河図」「ラスト・バタリオン蒋介石と日本軍人たち」など、主に台湾を中心とする歴史、社会、文化、美術、映画など広範な分野の著作をまとめてきた。昨年から大東文化大特任教授として、ジャーナリズムを教えている。

   私がインタビューをしたのは、6月30日に刊行予定の新刊「なぜ台湾は新型コロナウイルスを防げたのか」(扶桑社新書)の校了前日だった。台湾を訪れたのは今年1月末から2月にかけてが最後で、以後は渡航が禁じられた。様々なルートで取材を続け、巣ごもり中の1か月半に集中的に執筆したという。「これほど短期に書き上げたのは人生で初めて」というほど、この本に集中した。

   日本ではこの間、ワイドショーなどで、「マスク在庫マップ」のアプリを開発した38歳のデジタル担当大臣・唐鳳(オードリー・タン)が脚光を浴びた。しかし、野嶋さんによると、「マスク管理」は台湾の政策のごく一端にすぎず、台湾がいかに新型コロナに立ち向かってきたかについては、まだ十分には知られていない、という。

   ことの発端は昨年の12月31日だった。あるいはその日から始まる24時間に、台湾は初動で打てる手はすべて打ったのだという。

   台湾はSARSの打撃を経た翌年の2004年、組織を改革し、衛生福利部のもとに「国家衛生指揮中心(NHCC)」を設置した。

   12月31日未明、このNHCCで働く若者が、中国本土での異変を察知し、ネットなどを駆使して中国・武漢の情報を集め、朝一番に報告した。対応は迅速だった。その日午後には緊急閣僚会議を開き、武漢発着のフライトの防疫を強化し、中国に問い合わせると同時に、世界保健機関(WHO)にメールで通知した。

   これがのちに、「WHOは新型コロナウイルスについて、早期に情報を入手しながら、初動に遅れた」という紛糾の種となる。4月11日に台湾が全文公開したメール内容は以下の通りだ。

「本日、複数の情報源が示唆するところでは、中国・武漢で少なくとも7件の非定型肺炎の症例が報告されている。中国保健当局はメディアに対し、SARSではないと信じられると回答した。しかし、症例は精査中であり、患者は治療のために隔離されている」

   台湾はそう通知し、WHOに関連情報を共有するよう求めた。のちにこのメールの解釈をめぐってWHOと台湾は対立した。WHOが、「メールには、人から人への感染については言及していない」というのに対し、台湾は、「治療のための隔離」が、「人から人への感染」を前提とするのは専門家の間では常識として全文公開に踏み切った。

   中国当局が「人から人への感染」に言及したのは、1月20日、国家衛生健康委員会の専門家グループ長が、「武漢市に行ったことのない人や、医療従事者にも感染が確認された」と発言したのが最初だった。中国政府は同21日には新型コロナを法定伝染病に指定し、23日には武漢市を封鎖するなど、拡大防止に乗り出す。

   一方、WHOは23日夜まで2日越しの議論を続けたが、意見は真っ二つに割れ、緊急事態宣言による人の移動や貿易の制限の勧告には踏み込まなかった。WHOが緊急会合を開き、「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」を宣言するのは、ようやく同30日になってからのことだ。その時点でも、テドロス・アダノム事務局長は、「人の移動や貿易を制限するよう勧めるものではない」と語った。中国本土では、1月25日から2月2日にかけて例年では延べ約30億人が移動する旧正月の「春節」にあたっており、たしかにWHOの初動の遅れは否定できない。

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