かつての公民権運動支えた不服従抵抗運動
南北戦争による奴隷解放後も、米国では長く黒人やマイノリティー差別が続いてきた。アメリカでは、第2次大戦で多くのマイノリティーを動員したにもかかわらず、戦後も「分離すれども平等」の原則を維持し、黒人はアパルトヘイト下の南アフリカのように、レストランや公共交通機関、スポーツの場で白人の席から排除され、専用の施設を使うように強いられた。米国合衆国憲法にいう「公民権」は、私人間に適用されず、南部などの「人種分離法」によって、こうした差別が法的に正当化されていたのである。
それを変えたのが、1955年に起きたモンゴメリー・バス・ボイコット事件だった。これは、アラバマ州モンゴメリーで、バスの黒人専用席に座っていた黒人のローザ・パークスが、白人客に席を譲るよう命じられたのを拒否し、逮捕された事件だ。
この事件をきっかけに、マーチン・ルーサー・キング牧師は、バスボイコットを呼びかけ、60年代にかけて、全米に、白人専用席への座り込み「シット・イン」や、ボイコット運動など、不服従抵抗の公民権運動が広がった。こうした運動には黒人だけでなく白人も多く参加し、61年に始まる「フリーダム・ライダーズ運動」では、黒人と白人の活動家が南部行きの長距離バスに乗り込み、白人至上主義の住民らから嫌がらせや暴力を受けながら、差別反対を訴え続けた。
こうした運動の高まりの結果、63年8月には首都で20万人以上が参加する歴史的な「ワシントン大行進」が行われ、暗殺されたケネディの後を継いだジョンソン大統領が64年4月、公民権法を制定して、公然たる人種差別に終止符を打った。
だが、制度上の差別がなくなったとはいえ、その後も社会に長く差別が続いたことは言うまでもない。 こうした歴史的な経緯を踏まえ、藤原さんは、今の差別反対運動が、不服従抵抗運動の方向に収れんすれば、アメリカ社会が、公民権運動の時と同じように、「分断社会」から脱出する足掛かりになるのでは、と期待する。