国際連盟創設の精神も教えるように促す
そのような空間地帯には二つの優位な状況が生まれた。一つは中国、韓国に対して軍事圧力をかけることが可能になったこと。もう一つは韓国などの抗日運動を徹底して弾圧することに欧米が干渉できないこと。これは有利な状況というよりは、日本が帝国主義的な道を歩む環境がより整ったという意味にもなるだろう。
こうした条件のもとで、国家は国民に一定の範囲で世界に通用する市民的感覚を持たせようとしたとも言える。1917(大正6)年のロシア革命や1919(大正8)年の国際連盟の創設などもあり、思想善導は急務だと考えた節もあった。文部省は小学校高学年の修身の授業では、「国交」という章を設けて生徒たちに次のような意図を持って教えるようにと、教師たちに促している。
「大正七年十一月世界未曾有の大戦乱おさまり、翌八年一月巴里に平和会議開かるや、今上陛下は全権委員を派遣し給いて、世界の平和の為に尽さし給えり。此の戦役は文明国間に於ける戦争の惨禍が如何に甚大なるかを明らかに示せしかは、将来戦争を絶滅して永久に禍根を除かんとする熱心なる要求世界各国の間に起り来れり」
こういう精神のもとで国際連盟が創設されたというのである。人間のありようを説き、相互に戦争を避けて平和的であろうと努力を続けることの重要性を生徒たちに知らしめよ、という姿勢はあまりにも画期的だった。むろん愛国心や天皇への報恩なども説かれているとはいえ、とにかくバランスのとれた市民像を作ろうとしていることが読み取れる。
第3期の国定教科書の具体的な内容をさらに紹介していくが、この大正デモクラシーの教科書が、1933(昭和8)年の第4期国定教科書では真逆になってしまうところに日本社会の幼児性があったと言えるのではないかと、私は思えてならない。(第49回に続く)
プロフィール
保阪正康(ほさか・まさやす)
1939(昭和14)年北海道生まれ。ノンフィクション作家。同志社大学文学部卒。『東條英機と天皇の時代』『陸軍省軍務局と日米開戦』『あの戦争は何だったのか』『ナショナリズムの昭和』(和辻哲郎文化賞)、『昭和陸軍の研究(上下)』、『昭和史の大河を往く』シリーズ、『昭和の怪物 七つの謎』(講談社現代新書)、『天皇陛下「生前退位」への想い』(新潮社)など著書多数。2004年に菊池寛賞受賞。