国民の日常生活と先延ばしのツケ
英国の日常は、この間どう変わったのか。それを知りたくて5月29日、ZOOMでロンドン近郊のサリー州にお住まいのフリージャーナリスト小林恭子(ぎんこ)さんと話した。
小林さんとは、私がロンドンに駐在していたころ、北アイルランド取材でご一緒したことがある。当時は読売英字新聞の記者からフリーになったばかりで、その後もネット上で「小林恭子の英国メディア・ウォッチ」や、Yahoo!ニュースの「小林恭子の英国発知的情報クリップ」などの連載で精力的に活躍していらっしゃる。とりわけメディア事情については、英社会を知る上で必須の情報が多く、私も長く愛読してきた。英国在住は18年目だ。
3月23日のロックダウン宣言の後、小林さんの日常も一変した。外出は買い物か運動に限って1日1回だけ。開いている店はスーパー、薬品店、金融機関だけ。一時は葬式にも集まれなかった。不要不急の外出は禁じられ、一部の警察は上空からドローンで監視し、違反すれば60ポンド〈約1万円)の違反を課せられた。
お住まいはロンドン中心部まで電車で約20分の通勤圏だが、当然、仕事は完全に在宅勤務となり、インタビューはZOOMなどのリモート取材になった。
「人って、ほかの人と交わる欲求があることが、よくわかりました。ずっと家にいて、毎日数百人が亡くなるという報道ばかり見ていると、将来の希望がなくなり、気が滅入ってしまう」
英国では、私が小林さんと話した翌週から段階的制限緩和が始まり、ピクニックやバーべキューもできるし、屋外で6人以下なら2メートルの距離を置いて集まることができる。小学校も低学年から授業を再開し、イングランド内なら日帰りで移動できるようになる。ただ、同居する家族以外の人を家に招くことや、宿泊を含む旅も禁じられ、まだ日常が戻っているとは言えない。
小林さんによると、ロックダウンは、感染が急激に増えた時点で宣言され、いかにも遅すぎたという。
「ジョンソン首相は、当初、感染ピークを遅らせる緩和路線を取った。中国やイタリアがロックダウンしたのを見ても、『あれはイタリアだから』と下に見ていたのではないか。会見ではいつも『科学に基づいて』と前置きしていたが、実はそうでなかったことが最近になって明らかになった。政治判断を先延ばしした結果、取り戻しができないまでに感染が広がってしまった」
そう小林さんは言う。今回のコロナ禍で目立つのは、死者の3分の1を占める介護施設での感染だ。NHSの医療体制を守るため、介護施設にまで検査キットや医療防護具の支給が行き渡らなかった可能性もある。
「保守党政権は、緊縮財政を続けて、介護施設を支える地方政府の財源を削りに削ってきた。NHSも財政難や人手不足に苦しみ、高齢者比率が上昇したことで、膨れ上がる医療ニーズに病院側が対処しきれていないのです」
小林さん自身、5年ほど前、夜中に腹痛があって病院に行き、緊急外来を訪ねたことがある。病院は泥酔した若者や高齢者、子どもを連れた親などであふれ、長椅子に横になって呼ばれるのを待った。医者に診てもらえたのは7時間後だったという。
この間、メディアは機能していたのだろうか。小林さんはまず、BBCのウェブサイトについて指摘した。BBCは市町村別の感染の情報を刻々と更新し、郵便番号を入れると自分の知りたい地区の状況がわかるシステムを作った。
政府は毎日、首相、保健相、内務省ら担当閣僚が交代で会見に臨み、これを医療・科学の専門家が補佐した。メールで申し込んだ市民2人と、報道機関4、5社のメディアがリモートで質問し、これに応えるという方式だった。当初は質問も1人1つに限られたが、その後は増えた。
だが、今回小林さんが注目したのは、複数のメディアが医療現場に行って感染者とその家族に取材したり、許可を得てSNSの情報を、実名や顔出しのまま流したりしたことだという。
「そうすることで、感染したり亡くなったりする人のことが、数字ではなく、我がこととして感じられた。日本のメディアにはない視点だったと思います」
日本では、感染者が実名で出ると非難され、あるいは家族らも排斥される恐れがある。私がそう言うと、小林さんはこう答えた。
「英国は、日本より感染や死者数がずっと多いからかもしれませんが、感染者個人が表に出ない社会では、彼らが少数派になり、感染をしていない多数派によるイジメやバッシングにつながるのでは。感染と戦う個人が前面に出ると、国民が力を合わせる連帯のきっかけになる」
たしかに、これは鶏と卵の関係かもしれないが、小林さんの指摘には、うなずけるものがあった。
この間、日本でも多くの人々が感染し、亡くなった。しかし一握りの芸能人や著名人を除けば、本人や家族が顔を出して語ったり、追悼したりすることはまれだった。
ふつうの人が感染してどう苦しんでいるのか、病院や施設への面会もできず、感染して亡くなった場合に、葬儀への参列もかなわず見送らざるを得なかった人々の悔恨や無念さは、まだ十分に伝わっているとはいえない。
苦しむ人にバッシングで追い打ちをかけるような社会を変える。個人が堂々と顔を出せる社会に変えていく。それが急務なのだと思う。
ジャーナリスト 外岡秀俊
●外岡秀俊プロフィール
そとおか・ひでとし ジャーナリスト、北大公共政策大学院(HOPS)公共政策学研究センター上席研究員
1953年生まれ。東京大学法学部在学中に石川啄木をテーマにした『北帰行』(河出書房新社)で文藝賞を受賞。77年、朝日新聞社に入社、ニューヨーク特派員、編集委員、ヨーロッパ総局長などを経て、東京本社編集局長。同社を退職後は震災報道と沖縄報道を主な守備範囲として取材・執筆活動を展開。『地震と社会』『アジアへ』『傍観者からの手紙』(ともにみすず書房)『3・11複合被災』(岩波新書)、『震災と原発 国家の過ち』(朝日新書)などのジャーナリストとしての著書のほかに、中原清一郎のペンネームで小説『カノン』『人の昏れ方』(ともに河出書房新社)なども発表している。