外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(7)
英国はなぜ失敗したのか

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「25万人死亡」が決定的

   政策転換にとって決定的だったのは、ファーガソン教授が率いるインペリアル・カレッジ・ロンドンの対策チームが、3月16日に、数理モデルをもとにまとめた報告書を公表したことだった。教授らは、今の政府の施策のままでは、25万人の死者が出るという数字を挙げ、国民に衝撃を与えた。

   前に触れたように、この数字自体は政権にとって目新しいものではない。すでに3月2日の時点で、「SPI-M」チームは「SAGE」にレポートを送り、このまま放置すれば、死者は25万人~50万人になるという予測数値を挙げていた。当然、ジョンソン首相もその意味を理解していたはずだ。しかし政権は思いきった措置を取らず、マイルドな政策で拡大を許してきた。

   ファーガソン教授はガーディアン紙の取材に対し、「私は死者について楽観的であったことは決してない」としたうえで、「政策をきめるのは政治家であって、科学者ではない」と語った。「政策が、科学的な助言によって導かれることはあっても、それは、科学者が政策を決めることを意味しない。私は科学が許す限り、異なる政策がもたらす潜在的な結果について、政策決定者に明確に示すよう努めてきた」と語った。

   ハンコック保健相が科学的アドバイスに基づくとしてしばしば使った「規制疲れ説」についても疑問符がつけられた。あまり早く行動制限をすれば、人々は規制に疲れ、最も必要な時に、応じなくなる、という説だ。この点について「SPI-B]で国民対応を研究してきた行動科学者らは、同紙の取材に対し、「我々のレポートでその言葉を使ったことはないし、それは科学コンセプトではない」と断言している。強硬措置に二の足を踏む政権が、「科学」の名を借りて作り上げた口実だった可能性がある。

   経済的な利益を追求して温和な路線を目指すか、より多くの命を守るために、果断な措置に踏み込むか。そうした迷いから判断は遅れに遅れ、政権は右往左往した。だが、もう迷う余地のないところにまで追い詰められ、ジョンソン首相は3月23日、全土にロックダウンを宣言した。イタリアから2週間、フランスからは1週間遅れての決断だった。

   だが、決断の遅れはあまりに大きな代償を必要とした。ロックダウンを宣言した時点での英国の感染者は6650人、死者は335人。それが6月2日には感染確認者27万7736人で世界4位、死者数3万9127人で世界2位という欧州最悪の結果にまで至った。

   さらに、新型コロナの脅威の軽視は、政権中枢への感染につながった。ジョンソン首相は自らが3月27日に感染したと公表し、4月5日には検査入院。同6日には重症化してICU(集中治療室)に入った。治療の結果、同9日には一般病棟に移り、12日には退院したが、公務に復帰したのは4月27日のことだった。丸1か月、英国政権の司令塔が空白だったことになる。

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