ボクシングの元WBC世界バンタム級王者・辰吉丈一郎が今なお現役にこだわり続けている。2020年5月15日に50歳の誕生日を迎えたが、現在もジムワークを欠かしていないという。「世界王者で引退」は50歳になってもブレることはない。
デビューから8戦目での世界王座奪取、そして2度の王座返り咲き。数々の伝説を残してきたなかで薬師寺保栄(当時・松田ジム)との王座統一戦は今でも「世紀の一戦」として語り草となっている。
興行権の入札にドン・キング氏が「参戦」
1994年12月4日、名古屋市総合体育館レインボーホールに9800人の観客が詰めかけた。リングの上には2人の世界王者が立っていた。WBC世界バンタム級王者・薬師寺とWBC世界バンタム級暫定王者・辰吉(当時・大阪帝拳)だ。日本人同士による初の世界王座統一戦は、薬師寺の地元である名古屋開催にもかかわらず、会場には多くの辰吉ファンが大阪から訪れ辰吉を後押しした。
「世紀の一戦」は両者がリングに上がる前からすでに「戦い」は始まっていた。この試合の興行権を巡る争いだ。争点となったのは、試合の開催地とTV中継するテレビ局。薬師寺陣営は地元名古屋、辰吉陣営は大阪もしくは東京での開催を主張。テレビ局に関しては、薬師寺陣営はTBS系列、辰吉陣営は日本テレビ系列がバックについており、どちらも譲ることがないまま平行線をたどった。
両陣営の交渉がまとまらず、WBCによる興行権の入札が行われた。メキシコのWBC本部で行われた入札には、当事者の両陣営の他に世界的なプロモーター、ドン・キング氏が参加。薬師寺、辰吉とはまったく関係のないドン・キング氏のまさかの「参戦」は日本のボクシング関係者を驚かせ、入札額の高騰が心配された。一方でこの試合の注目度の高さを物語るエピソードのひとつである。
注目された入札は、薬師寺陣営が342万ドルで落札した。当時のレートで約3億4200万円だった。対する辰吉陣営は約2億3800万円、ドン・キング氏は約3億2000万円。薬師寺陣営が約2200万円の差でドン・キング氏を上回ったわけだが、あやうく興行権がドン・キング氏の手にわたるところだった。結果、薬師寺陣営が興行権を落札したことで、試合会場は名古屋となり、TBS系列でTV中継されることが決まった。
「世紀の一戦って。相手があれで?笑わしたらあかんで」
試合前の両者の舌戦も話題を集めた。辰吉が薬師寺に対して「薬師寺は勘違い君」と挑発すれば、薬師寺も負けじと「辰吉は思い上がり君」と応戦。また、かつて薬師寺とスパーリングで拳を交えた際に圧倒したといわれる辰吉は、薬師寺との対戦が「世紀の一戦」と報じられるのを嫌い、「世紀の一戦って。相手があれで?笑わしたらあかんで」とテレビのインタビューに答えている。
辰吉にとってボクシング生命がかかった一戦だった。1993年9月、当時、WBCの暫定王者だった辰吉に左目の網膜剥離が発覚。手術は成功したものの、日本ボクシングコミッション(JBC)のルールにより試合が禁じられ、事実上の引退においやられた。ジム関係者の尽力により、94年7月に米ハワイで復帰戦を行い、これを受けてWBCは辰吉を暫定王者に認定。JBCは「王座統一戦で負ければ引退」を条件に特例として辰吉の復帰を認めた。
一方の薬師寺は世界王者のプライドがかかっていた。辰吉は暫定王者ながら絶大な人気を誇り、実力でも薬師寺を上回るといわれていた。ボクシング関係者の間では、試合の下馬評は圧倒的に辰吉優位だった。辰吉の早期KO勝利を予想する専門家もいた。そして再々にわたる辰吉の挑発。同じ階級に世界王者は2人もいらない。「真の世界王者」を証明するには、勝利しかなかった。
それぞれの思いを抱いて2人の世界王者がリングに上がった。1回、辰吉がノーガードで揺さぶりをかければ、対照的に薬師寺は両腕を高く上げガードを固める。薬師寺のセコンドから「鼻と目を狙え」との指示が飛び、薬師寺は左ジャブを顔面に集める。回を追うごとに薬師寺の左ジャブの的中率は上がっていき、4回には辰吉の左目が腫れだした。教科書通りに左に回りながらジャブを放つ薬師寺。対する辰吉は回転の速い連打で見せ場を作った。
「いろいろ侮辱したことを謝りたい」
決して派手さはないが、薬師寺は堅実なボクシングを貫いた。辰吉の左目は中盤以降、大きく腫れあがり、視界をふさいだ。そして最終回、やや劣勢にあった辰吉が猛攻に出る。前へ前へと足を出し、打たれても打たれても打ち返す。辰吉の執念に薬師寺も気持ちで応える。世界王者同士のド突き合い。大歓声のなか試合終了を告げるゴングが鳴らされた。結果は2-0の判定で薬師寺の手が上がった。
試合直後、両者はリング上で強く抱き合った。薬師寺が勝者のコールを受けると、辰吉が薬師寺を抱え上げて勝利を称えた。リング上で再び緑のベルトを腰に巻いた薬師寺は「これで皆さんにチャンピオンと認めてもらえるのでうれしいです」と笑顔をのぞかせ、ベルトを失った辰吉は「いろいろ侮辱したことを謝りたい。想像以上に強かった」と、試合前の挑発的な発言を謝罪し完敗を認めた。
その後、辰吉は頑なに引退を拒絶し、JBCは辰吉の意志を尊重する形で条件付きでの現役を認めた。1997年11月にWBC世界バンタム級王者シリモンコン・シンワンチャー(タイ)を壮絶な打ち合いの末、7回TKOで破り再び王座に返り咲き2度の防衛を果たした。王座陥落後も世界王座返り咲きへ意欲を見せていたが、2009年3月の試合を最後にリングから遠ざかっている。