1994年12月4日、薬師寺保栄VS辰吉丈一郎 「世紀の一戦」実現の背景は...

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「世紀の一戦って。相手があれで?笑わしたらあかんで」

   試合前の両者の舌戦も話題を集めた。辰吉が薬師寺に対して「薬師寺は勘違い君」と挑発すれば、薬師寺も負けじと「辰吉は思い上がり君」と応戦。また、かつて薬師寺とスパーリングで拳を交えた際に圧倒したといわれる辰吉は、薬師寺との対戦が「世紀の一戦」と報じられるのを嫌い、「世紀の一戦って。相手があれで?笑わしたらあかんで」とテレビのインタビューに答えている。

   辰吉にとってボクシング生命がかかった一戦だった。1993年9月、当時、WBCの暫定王者だった辰吉に左目の網膜剥離が発覚。手術は成功したものの、日本ボクシングコミッション(JBC)のルールにより試合が禁じられ、事実上の引退においやられた。ジム関係者の尽力により、94年7月に米ハワイで復帰戦を行い、これを受けてWBCは辰吉を暫定王者に認定。JBCは「王座統一戦で負ければ引退」を条件に特例として辰吉の復帰を認めた。

   一方の薬師寺は世界王者のプライドがかかっていた。辰吉は暫定王者ながら絶大な人気を誇り、実力でも薬師寺を上回るといわれていた。ボクシング関係者の間では、試合の下馬評は圧倒的に辰吉優位だった。辰吉の早期KO勝利を予想する専門家もいた。そして再々にわたる辰吉の挑発。同じ階級に世界王者は2人もいらない。「真の世界王者」を証明するには、勝利しかなかった。

   それぞれの思いを抱いて2人の世界王者がリングに上がった。1回、辰吉がノーガードで揺さぶりをかければ、対照的に薬師寺は両腕を高く上げガードを固める。薬師寺のセコンドから「鼻と目を狙え」との指示が飛び、薬師寺は左ジャブを顔面に集める。回を追うごとに薬師寺の左ジャブの的中率は上がっていき、4回には辰吉の左目が腫れだした。教科書通りに左に回りながらジャブを放つ薬師寺。対する辰吉は回転の速い連打で見せ場を作った。

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