コロナ禍が欧州に広がる前の2020年1月31日、英国が欧州連合(EU)から離脱し、11か月の移行期間に入った。欧州はいま、どのようにコロナ禍に対応しているのか。「ビッグ3」と呼ばれる英仏独の一角が抜け落ちたあと、EUはどこに向かうのか。EU研究の第一人者、北大公共政策大学院長の遠藤乾さんに話を聞き、仏・独それぞれに長く住むお二人に語っていただいた。
対応が分かれた欧州
5月20日、ZOOMでインタビューした遠藤院長は、開口一番、欧州主要国の対応を三つに分けて説明してくれた。
第一はイタリア、スペインのコロナ禍「先行組」、第二はドイツ、英国などの「後発組」、そしてスウェーデンに代表される「独自路線組」だ。後発組は、比較的対応がしっかりしたドイツと、混乱の末に多くの死者を出した英国が対照的な結果になった。フランスは「先行組」と「後発組」のドイツの中間あたりに位置づけられる、という。
イタリア、スペインの「先行組」に共通するのは、高齢化が進んでいたことと、大家族を中心とする親密な家族形態を基調にしている点だ。イタリアでは社会投資が脆弱で、スペインではもともと弱い医療体制が、この20年近く、さらに経費を削減されて足腰が弱っていた。
「この2か国では、感染が特定地域に集中している点でも共通している」という。
この遠藤院長の言葉を当時の報道で補足しておきたい。
イタリア政府は3月7日、人口約1千万人のロンバルディア州全域と、北部などの14県を4月3日まで封鎖する措置に踏み切った。ロンバルディア州にはイタリア第2の都市で人口125万人のミラノがあり、ベネチアを含むベネト県も封鎖の対象になった。この封鎖で1600万人が影響を受けた。
英BBCの3月8日付報道によると、隔離地域では、映画館、体育館、プール、美術館、スキー場、ナイトクラブなどが閉鎖された。レストランやカフェは午前6時から午後6時まで営業できるが、客は少なくとも互いに1メートル離れて座らなくてはならない。隔離中は結婚式や葬式も、開くことができず、宗教や文化イベントも中止になった。住民はできる限り家に留まり、不要不急の外出を控えるよう求められた。
隔離措置に違反した場合は、最長3か月の禁錮刑など、罰則も示された。イタリアではそれまで、北部の一部自治体で住民5万人が隔離の対象になり、4日には、5日からすべての学校を10日間閉鎖すると発表していた。感染の爆発で、一気に広域を封鎖するという強硬策に転じたことになる。
3月22日にイタリアの死者は3456人になり、最初に感染が確認された中国・湖北省の死者数を上回った。ロイター通信の3月25日報道によれば、ロンバルディア州の死者は21日の週に他地域の倍近く増え、24日には全国の61%にあたる4178人になり、感染者も全国の44%に上った。同州4番目の都市ベルガモは全国の高齢者人口が国内最多で、土曜日の同21日には地元紙の訃報欄が12ページにもなったという。
実際には、感染が確認されないまま亡くなって人もいるので、正確な死者数は今もってわからない。だが、「特定地域に集中」という偏りがあったことは、これらの報道でもうかがえるだろう。
英BBCの3月15日付報道によると、スペインでもペドロ・サンチェス首相が3月14日、全土に非常事態を宣言した。日常欠かせない物資と薬品の買い物、仕事が目的の場合を除いて、市民が自宅から外出するのを禁止した。飲食店などは休業となり、映画館や劇場、スポーツ施設なども休館になった。
スペインでは、バルセロナを含むカタルーニャ地方の町や首都マドリードなどで感染が拡大していた。緊急事態宣言が出される直前の3月12日付ロイター通信は「医療対応の限界迫る」として、次のように伝えた。「保険緊急管理調整局のフェルナンド・シモン局長はマドリードの感染者が当初の782人から1024人に拡大したと指摘。全土の死者47人のうち31人が首都に集中していることについて、『マドリードでの致死率が高いのは、高齢者福祉施設での感染が相次いでいるため』と説明した」。マドリードとカタルーニャ自治州は、5月下旬の段階でも死者数の約半数を占めていて、特定地域への集中をうかがわせる。
フランスで顕在化した「不平等」
感染が急増したのはフランスが3月10日、ドイツが3月11日で、ほぼ同じだった。対策を打ち出したのもほぼ同時期だったが、結果はかなり違う形になった。
フランスの当初の制限はさほど強硬ではなかった。2月29日にはクラスターが確認された自治体で、不要不急の移動制限を推奨し、他の地域でも不要な旅行を勧めない程度だった。
だが3月14日には100人以上の集会を禁じ、15日には、カフェ、レストラン、映画館、ディスコの閉鎖を決めた。16日には保育園や小中高校、大学を閉鎖し、17日には少なくとも15日間の全国的な外出禁止措置を取るという矢継ぎ早の強硬措置に転じた。しかも、フランスでは外出時に自己申告の証明書の携帯を義務付けられ、違反すると最高で135ユーロ(約1万6千円)の罰金を科された。3月24日には衛生緊急事態法が施行になり、30日間に4度違反すれば、罰金3750ユーロ、禁固6か月と罰則が強化された。
全土にわたって罰則を含む強肩措置を取ることによって、公権力が私権を制限してでも、感染を抑え込む。一言でいえば、それがフランスの手法だったといえる。だが、5月25日現在のジョンズ・ホプキンス大による集計で、米、英、イタリア、スペインに次ぐ28390人の死者を出したフランスの政策が、有効であったとは言えない。
ここで1点指摘しておかねばならないのは、食用品や薬品などの生活必需品の購買を除いて、全土にロックダウン(都市封鎖)の措置をとったフランス方式が、「巣ごもり」できない人に感染拡大を広げた可能性である。英紙ガーディアンは4月25日付け電子版で「パリ郊外で新型コロナが積年の不平等を増幅」という記事を掲載した。ここで使っている「郊外」は仏語の「banlieue」のことでフランスで郊外といえば、かつては共産党支持者の多い大都市郊外の貧困層が多い「赤い郊外」を指し、最近では、以前植民地だったアフリカ・マグレブ地方からの移民の2世、3世が多い公営住宅街を指すのが一般的だ。
ガーディアン紙によると、パリ北東部の郊外にあるセーヌ・サンドニ県では死亡率が昨年より63%増加している。約160万人が住む同県では3割近くが最貧層で、失業率が高く、罹患率も高いのに、一人当たりの医者の数は全国でも最も少ない。移民が多数を占め、清掃や建設、小売りなどの現場の仕事に就いている人が多い。
こうした人々は、都市が封鎖されても、ライフラインを守るために、働くことを期待され、また家族の暮らしを守るため、感染のリスクに身をさらしても、働かざるを得ない。しかも、メトロなど、足は公共交通機関に頼るしかない。
いったん感染すれば、人口密集地域にウイルスが広がり、医療現場は崩壊する。新型コロナが、ふだん見えない長年の「不平等」を増幅させ、顕在化させたという指摘だ。
死者数が少ないドイツ、悲惨な英国
イタリア、スペインといった「先行組」やフランスと比べ、ドイツが違うのは、新型コロナによる死者数の少なさだ。
5月25日現在のジョンズ・ホプキンス大による集計に戻れば、その差は歴然としている。確認感染者数は5位スペインが23万5772人、6位イタリアが22万9858人、7位フランスが18万2102人。8位のドイツは18万0328人で、フランスと大差はない。ところが死者数になると、3位イタリアが3万2785人、4位スペインが2万8752人、5位フランスが2万8390人なのに対し、8位のドイツは8283人に留まっている。この差はどこで生じたのだろう。
ドイツでは3月16日に幼稚園、学校、公園、体育館などの閉鎖を始め、食料品店や薬局、ガソリンスタンドなど生活に必要な店以外の営業を禁じた。これもフランスと時期はほぼ同じだ。同21日には感染が拡大したバイエルン州で原則外出禁止となり、22日には連邦統一ガイドラインが出されて行動を制限した。だがフランスのような厳格な制限ではなく、あとで詳述するように、散歩などは自由だった。
この点について遠藤乾院長は、「やはり、ドイツの国全体の準備態勢、医療体制の底力が出たのだろう」という。一時は母体のキリスト教民主同盟(CDU)の人気が陰り、21年の任期限りで引退する意向だったメルケル首相も、再び前面に立って指導力を発揮した。医療体制と民主政治のシステムの底堅い結びつきが、荒波にも耐える防波堤になった、との見方だ。
まさにこれとは対照的な脆弱性をあらわにしたのが英国だった、と遠藤院長はいう。露呈したのは、積年の社会資本の削減のツケと、民主政治のシステム不全の結びつきだ。
2010年に政権の座に就いたキャメロン元首相は、財政赤字削減を掲げて緊縮財政を続け、警察や教師の人減らし、児童手当の凍結、住宅補助見直しといった福祉・地域サービスに大ナタを振るった。国民保健サービス(NHS)という医療制度の予算そのものは減らさなかったものの、12年の構造改革によって病院間、地域間の格差が広がり、待機者が増えて、NHSに対する国民の満足度は低下していた。
「ニューレーバー」と呼ばれたブレア、ブラウン元首相の労働党時代には、親EU路線で移民を受け入れつつ、教育や医療制度の効率化や近代化を図る路線だった。しかし、福祉や地域サービスの劣化で有権者にたまった不満は、16年の国民投票で「EU離脱」の選択を後押しした。その後に続いたメイ首相の統治の混乱の後、離脱派の急先鋒だったジョンソン首相が「離脱」を実現した矢先に今回のコロナ禍に見舞われた。
政権は迷走を続けた。3月12日の会見でジョンソン首相は、社会活動を厳しく制限しないまま、感染ピークを抑えるという緩和路線を打ち出していた。だが、感染が急速に拡大したため、20日にはパブを含む飲食店や劇場、映画館などの閉鎖を求め、23日には方針を急転換して都市封鎖を宣言した。だがこの出遅れが響き、27日には首相自身が感染して入院し、一時は集中治療室に入る重症になった。首相は4月12日に退院したが、司令塔の不在はその間に混乱を招いた。5月25日時点で感染者数は世界4位、死者数では米国に次ぐ2位という欧州でも最悪の結果である。
EU離脱の移行期間は年内いっぱいだ。その間にEUとの交渉がまとまらなければ、細部を詰めないままのハード・ランディングになる恐れもある。遠藤院長はこう言う。
「普通であれば、英国側から交渉延期を求めるところだが、コロナ禍で政権が合理的な判断をできるかどうかが心配だ」
英国が抜けた後、EUの求心力はどうなるのか。この点について、遠藤院長は、EUは一貫して独仏がけん引してきた歴史があり、独仏の足並みが乱れない限り、さほどの心配はないだろうという。ただ、今回のコロナ禍で火種となりそうなのが、イタリアだろうと指摘する。
独仏はマスクを含む医療防護品を確保するため輸出禁止措置をとった。自国民を優先するマスクの「囲いこみ」だ。3月上旬、イタリアで医療崩壊が起きつつあるころ、スウェーデンの企業がフランス経由でイタリアに送ったマスク400万枚を、フランス当局が押収した。痛みを分かち合い、助け合う建前とは裏腹に、最も必要な時に邪魔をする態度に、イタリア国民は恨みを抱くだろう、と遠藤院長はいう。EU欧州委員会のフォンデアライエン委員長は4月16日、EUがイタリアを助けなかったことを公式に謝罪したが、こうした不満が尾を引く可能性が高い。
EU加盟が自国にとって利益があるかどうかを尋ねた昨年の欧州委員会の世論調査で、加盟国で唯一、「利益」よりも「不利益」が多数だったのがイタリアだった。今後の景気低迷で南欧が窮地に陥り、遠心力が加われば、ギリシャ債務問題とは比較にならない影響が出る可能性がある。遠藤院長はそういう。
そんな兆候をいち早く悟ったのか、ドイツのメルケル首相とフランスのマクロン大統領は5月18日、テレビ会談で話し合い、新型コロナで被害を受けた国を支援するため、5千億ユーロ(約58兆円)の「復興基金」を設立するようEUに提案することで合意した。
最大で28か国に拡大し、5億人規模の市場になったEUでは、加盟各国の利害をどう調和させる(ハーモナイゼーション)がキーワードになる。コロナ禍の今、その調整力は危機管理と同じ意味を持つようになったといえるだろう。
都市封鎖の下でのパリの生活とは
ここで話題を変えて、フランスの市民が都市封鎖のもとでどんな生活を送っていたのか、振り返ってみたい。
5月19日、ZOOMでパリに住む石村清則さんにインタビューをした。石村さんは私の高校同期で、パリ・インターナショナル・スクールで、第一言語として日本語を選択する生徒に、文学作品などを通して日本語を教えている。同校は、最近日本でも増えている「国際バカロレア」(IB)カリキュラムを採用し、幼稚園から高校3年まで70か国の園児や生徒が学ぶ。石村さん夫妻はパリに在住して37年に及ぶ。
石村さんの自宅はパリ16区にある。パリはルーブルのある1区から、時計回りに渦巻き状に20区が連なり、その形状から「カタツムリ」の愛称で知られる。16区はパリ西部でセーヌ右岸、ブローニュの森に隣接する地域だ。私もかつてお邪魔したことがあるが、石村さんの家はその16区の南端で、すぐ窓の下にマルシェと呼ばれる路上市が立つ閑静な住宅地だ。居住者は中の中から中の上くらいの層の人が多い。
フランスで都市閉鎖が宣言されたのは、3月17日。私が連絡をとったのは、フランスが55日間の制限を緩め、段階的解除を始めた5月11日から8日目のことだ。
「ここの市場も12日には再開しましてね」
と石村さんは、いつものように柔和な笑みを浮かべて話し始めた。罰則付きのロックダウンといえば、戒厳令下のような極度の緊張を思い浮かべる人が多いだろう。確かに、証明書を携帯し、警察に尋ねられたらそれを見せねばならない。許されるのは、食品や薬の買い物、散歩など1時間の必要最小限な外出に限られ、距離も原則、居住地から1キロ圏内だった。
だが、後から犬を連れた散歩なども認められ、状況に応じて柔軟に変えていったという。
取り締まりの警官を見かけることはあったが、尋問されたことはなく、住民を刺激しないよう配慮した印象を受けた。だがこれは、パリ北東部の郊外など、ふだんあまり治安がよくない地域では、対応が相当違っていた可能性があるという。
石村さんが割合に平穏な55日間を送れたのは、3月16日の休校後、ただちにオンライン授業に切り替え、ふだん通りの日常を送ったからだった。休校が予想されたため学校は事前に教師にオンライン授業の講習を行い、生徒は全員がパソコンやタブレットで授業を受けた。フランス全土で言っても、95%の家庭にはネット接続のパソコンかタブレット、Wi-Fi環境があり、ない場合には自治体がパソコンやルーターを貸し出してくれるという。学校環境ですらIT化が進まず、在宅オンライン授業に切り替えれば「教育格差」を気遣わねばならない日本とは大きな違いだ。
ふだんから沈着冷静で穏やかな人柄の石村さんだが、私が「パリ発の報道で受けた印象は、非日常が続いて、もう少し大変な状況だとおもっていた」と話すと、石村さんは笑って答えた。
「たしかに、2月半ばにパリ南部のマルセイユ近郊に休暇に行った時は、周りの誰も気にする様子はなかった。マスクを持参したが、周りは誰も着用していないので、自分もマスクを着けなかったほどだ。それが、アルザスの教会でクラスターが発生し、老人介護施設で集団感染が起き、パリに飛び火してから数日で、あっという間にロックダウンまで突き進んだ」
それでも社会があまり動揺していないように見えるのは、なぜか。皮肉なことにその理由の一つが、テロ事件などが頻発したことにあったという。フランスでは2015年11月のパリ同時多発テロ事件の直後から、緊急事態宣言が発令され、厳しい警戒態勢が敷かれた。これは6度延長され、2017年10月末まで続いた。
「テロの危険から身を守りながら、いかに社会生活を両立させるか。それは暮らしの知恵のようなものだと思う。もちろん、脅威の名のもとに、市民の自由を奪っていいのか、という議論はつねにある」
だが、都市封鎖の期間中は、十分な議論が行われていたとはいいがたい。野党からの批判もあまりなかった、と石村さんは言う。しかし、段階的に封鎖が解除されるにつれて、医療従事者からの批判は噴き出してきた。
5月16日付AP通信の報道によれば、マクロン大統領は15日にパリ市内の大手病院を訪ね、医師や看護師らから、不十分な医療体制について、厳しい批判にさらされた。期限切れの医療マスクを使い続けるしかなかったある看護師は、「私たちは絶望している。もう、あなたを信じない。私たちはヨーロッパの恥だ」と嘆いた。マクロン大統領も、これまでの医療改革案が誤りだったことを認め、医療現場の待遇改善を認めるしかなかった。
日本でも感染者や医療従事者への差別や偏見が問題になったが、それはフランスでも同じだ、と石村さんはいう。
「アパートから出て行けとか、近づかないでくれ、と言われた看護師もいる。その一方で、使っていない部屋を医療従事者に無償で提供をした人も多い。フランスでは夜の8時に窓辺に立ち、医療従事者に一斉に拍手をして感謝を伝える動きが広がった。このアパートでもそうだった」
フランスでは、感染の度合いや医療態勢の整備状況によって、地域を赤と緑のゾーンに分け、解除の段階もゾーンによって異なる。パリは警戒度の高い赤のゾーンに区分けされているので、まだ行動や営業の制限は多い。6月に学校を再開しても、マスク着用で距離を取り、教科書や本、パソコンの共用を禁止し、学年や学級別の分散登校をしながらオンライン授業を併用するなどの工夫が必要だ。今、学校は親や生徒の要望をアンケートで聞き出しながら、安全な再開に向けて準備作業を進めている。最後に石村さんは、都市閉鎖の解除後の世相を伝える二つの最新ニュースを教えてくれた、一つは、日本のJRにあたるフランスの国有鉄道(SNCF)が切符の予約販売を再開したところ、すぐに売り切れになったことだ。赤のゾーンの人はまだ、100キロ圏内の移動しか認められていないが、バカンスまでには解除されると見込んで、大勢の人が緑のゾーン向けの切符を予約したのだという。
もう一つは、解除後に、アパートの賃貸物件への需要が急増した、というニュースだ。どうやらこれは、55日に及ぶ「巣ごもり」暮らしを経て、もう同居に耐えられなくなったカップルやパートナーが、別居への道を歩み始めたせいらしい。フランスでも、DVの増加やコロナ離婚という言葉がメディアで伝えられており、この間に水面下で何が起きていたのか、浮上するのはこれからだろう、と石村さんは話した。
ドイツはSARS後に最悪事態を想定し研究
前にも見たように、ドイツは南欧並みの感染者を出しながら、死者は少なく、世界から「ドイツモデル」と称賛された。実際はどうだったのか。5月24日、ベルリン在住46年のジャーナリスト、梶村太一郎さんに、Skypeで話を聞いた。ちなみに梶村さんは、1995年の「戦後50年企画」(朝日新聞)で知り合って以来、一貫して私のドイツ取材の師匠であり、指南役をしてきてくださった。
梶村さんによると、ドイツでは2月中旬、ミュンヘン近くにあるバイエルン州の自動車の下請け会社の本社で、最初の感染が確認された。これは会議に出席した上海支店の女性から計16人が感染したクラスターだった。当局はこれを封じ込めたが、まもなく、オーストリアで若者に人気のあるスキー場イシュグルからに滞在した旅行者からドイツに感染が広がった。
イシュグルは、オーストリア最大の感染源で、国内だけで600人以上の感染者を出したが、ドイツやスカンジナビア諸国、アイスランドなど欧州全域で、それ以上の感染者を出したとみられる(4月2日付ロイター通信による)。
梶村さんによると、このチロル州にある新興リゾート地は世界中から旅行者が集まってスキーやパーティーを楽しむ場所として知られ、バイエルン州から車で数時間の距離にある。その後もバイエルン州での感染が多い理由の一つと見られている。
2月中旬にはカーニバル(謝肉祭)の準備で、オランダとの国境に近いハインスベルクという人口2万5000人の小さな町でもクラスターが発生した。 2月15日に地元で開かれたカーニバルの準備会の参加者から感染が拡大し、直ちにシャットダウンされたが、5月25日までに感染者が1872人、死者が69人という甚大な被害が出ている。
2月29日、梶村さんは開催中のベルリン映画祭に出かけ、この日行われたフォーラム部門エキュメニカル審査員賞受賞作「精神0」の受賞式を取材し、想田和弘監督夫人の柏木規与子さんらと談笑した。その夜、ベルリンでの初感染が確認された。世界中から人が集まったこの映画祭がクラスターにならなかったのは、幸運としかいえない、と彼は言う。
この感染者は21歳の男子大学生で、意識混濁で病院に運ばれた際、病院側が新型コロナの検査をして感染を確認し、いったん帰宅させた学生を病院に戻して隔離した。
ドイツ政府は2月29日にクラスターを確認した自治体に不要不急の移動制限を推奨していたが、感染拡大を受けて3月15日に人が集まる飲食店や映画館、ディスコなどを閉鎖し、保育園や学校も休校にした。同17日には、全国的な外出禁止措置を取り、国境も閉鎖した。
それから5月6日にメルケル首相が制限の段階的な解除を打ち出すまでロックダウンが続いた。だが、梶村さんによると、その間も日用雑貨店やスーパー、薬局は開いており、許可も要らずに散歩や外出もできたので、あまり不自由は感じなかったという。ドイツでの特徴は、感染した若者が無症状や軽症で済みがちな一方、高齢者が感染すると重症化しやすいため、「孫はおじいちゃん、おばあちゃんの家に行かないで」と頻繁に呼びかけたことだろうという。事実、これまでのドイツにおける死亡者の平均年齢は、公式統計で81歳である。
では、感染が拡大したドイツで、なぜ死者数が抑えられたのか。梶村さんは直ちに「参謀本部」方式を原因に挙げた。参謀本部は、19世紀のプロイセンで確立した軍事組織で、平時から有事を想定して軍事計画、動員計画を研究し、準備する軍の中枢だ。
感染症における参謀本部は、連邦保健省直属機関のロベルト・コッホ研究所である。1890年に細菌学者コッホが設立したこの研究所は、2002年から3年にかけてSARS(重症急性呼吸器症候群)が流行したのち研究を重ね、2013年に連邦議会に、最悪事態を想定したリスク分析の報告書を提出した。これは,変種のコロナウイルスが東南アジアから欧州、北アメリカに感染拡大するというシナリオで、今回の新型コロナ発生とよく似ている。問題は、ドイツ政府がこうした研究をもとに医療体制や予防体制を構築し、発生してからも首相以下、内務相、内閣官房、保健相、家庭相らが月曜と水曜の週に2度、「コロナ閣議」を続けている点だ。
感染拡大防止にあたっては、こうした合理的な現状分析と並んで、情報公開が死活的に重要だ、と梶村さんは言う。コッホ研究所の所長は週末も含む毎日、必ず会見を開き、数人の記者を前に現状を説明し、質問に答える。公共放送はそれを生中継するので、情報は即時に伝わる。さらに、研究所のサイトに「ダッシュボード」という特設欄を設け、小選挙区単位の感染者数や死者数、感染に関する克明なデータを更新し続けている。自分の住む地区をクリックすれば、すぐにデータが出てくるマップもある。さらに梶村さんはこう指摘する。
「連邦制のドイツでは、首都に限らず、全国各地に29のウイルス学研究機関があり、各州の対策のアドバイスをしている。各州に地方分権が徹底しているので、きめ細かな対策が取れる」
ドイツではシャリテ大学病院ウイルス研究所のクリスチャン・ドロステン所長が脚光を浴びている。毎日公共ラジオ放送NDRのポッドキャストで記者や市民の質問に答え、わかりやすくウイルスの特徴や防止策を語り続けてきた。自転車で官邸に駆け付け、メルケル首相に助言した後、「今日は助かりました。首相は物理学者なので、統計の呑み込みが早い」という感想を語ったこともある。
「メルケル首相は冷静にデータや情勢を見極め、慎重に熟慮をして決断を下す。すぐには判断しないが、その決断は戦略的で、場当たり的なことは絶対ない」
長くドイツ政治を見続けてきた梶村さんはそう言う。
医療体制も充実していた。新型コロナが波及してから240万件以上の検査を行い、早期に陽性患者を隔離して拡大を防いだ。今も1日約12万件の検査能力がある。ICUの病床も感染前から約2万8000床あり、10万人当たり約34床で、イタリアの約4倍、日本の6倍あった。感染発生後は手術予定を先延ばししたり、一般病床を利用したりして、約4万床にまで増やした。
梶村さんは、最近印象に残った言葉として、「新型コロナは新自由主義経済の棺桶の最後のクギ」という発言をあげた。これはベルリンのシンクタンク「ドイツ経済研究所・DIW」のマルセル・フラッチャー所長の言葉だという。
4月30日付独紙フランクフルター・アルゲマイネ紙が伝えた記事の中で所長は、「すでに(リーマンショック後の)09年の経済危機の際に明らかになっていたが、新自由主義市場経済は機能を失い、コロナ危機で経済市場は破綻し、ここで国家の適切な市場介入が問われている」としてドイツ政府の1兆ユーロ(120兆円)の経済体制維持介入が不可欠だと語った。
最後に梶村さんは、最近の言論界では、「システム・レレバント」という英語に当たるドイツ語がよく使われるようになった、と教えてくれた。「システムにとって必要なもの」「意味のあること」あるいは「支えるもの」といった意味だろう。具体的には、社会システムに欠かせない医療や介護、配送、運送、レジなどの職業従事者を指す。
グローバル経済の中でも、比較的豊かなドイツは必要な医療体制を確保し、どうにかこの危機を乗り越えようとしている。
コロナ禍でグローバル経済が行き詰まったいま、日本でも、足元のライフラインを見直し、立て直す時期が来ている。そう思った。
ジャーナリスト 外岡秀俊
●外岡秀俊プロフィール
そとおか・ひでとし ジャーナリスト、北大公共政策大学院(HOPS)公共政策学研究センター上席研究員
1953年生まれ。東京大学法学部在学中に石川啄木をテーマにした『北帰行』(河出書房新社)で文藝賞を受賞。77年、朝日新聞社に入社、ニューヨーク特派員、編集委員、ヨーロッパ総局長などを経て、東京本社編集局長。同社を退職後は震災報道と沖縄報道を主な守備範囲として取材・執筆活動を展開。『地震と社会』『アジアへ』『傍観者からの手紙』(ともにみすず書房)『3・11複合被災』(岩波新書)、『震災と原発 国家の過ち』(朝日新書)などのジャーナリストとしての著書のほかに、中原清一郎のペンネームで小説『カノン』『人の昏れ方』(ともに河出書房新社)なども発表している。