「満員電車の百年史」 戦前から高度成長、そしてコロナ禍...日本人と通勤ラッシュの歴史

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戦後は「殺人電車」が出現

   戦後、復員者や引揚者で都市人口が増え、鉄道インフラの荒廃も影響して鉄道の混雑は悪化する。現在のように、混雑率の正確な統計は1970年代頃まで得られていなかったが、ひどい場合はおおむね300%を超えるような込み具合だったとみられる。

   1946年2月のニュース映画「日本ニュース」には、身動きもままならないホームにあふれる群衆の映像が記録されている。復興から経済成長の時代、東京の人口は再び激増、1945年に約350万人だった東京都人口は1955年に800万人、1962年に1000万人を突破した。当時のラッシュの過酷さは「満員電車」を通り越して「殺人電車」と例えられる程であった。

   1961年の週刊誌「週刊サンケイ」には「殺人電車 わたしはつぶされる!」という見出しが躍っている。ニュース映画「朝日ニュース映画」の1968年の映画「ああ通勤」にも戦後まもない時期と変わらないような、ホームにあふれる乗客の映像が映っている。

   複々線化・地下鉄の建設で鉄道の輸送力は上昇し、混雑率は300%台が当たり前だった昭和の時代から平成期には低下していくが、それでも2018年の統計で東京メトロ東西線で199%、JR横須賀線で197%を記録している。平均的な値なので、200%を超える列車も当然あるだろう。東京で電車が走り始めてから100年経っても満員電車との付き合いは「多少マシになった」程度だった。

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