外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(5)
3人の識者に聞く「民主主義の危機と地方分権の希望」

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   コロナ禍は各国に、迅速な危機管理と経済対策を取るよう迫ってきた。日本の場合、政府対応はうまくいっておらず、迷走が目立つ。後手に回る政府の対策の隙間を埋めるように、都道府県の各知事がリーダーシップを発揮し、独自の施策や基準を打ち出した。長らく掛け声倒れに終わった「地方分権」に向けて潮目が変わったのか。もし、そうだとすれば、新たな地方自治に必要なものは何か。山口二郎・法政大教授、上田文雄・前札幌市長、地方自治に詳しい森啓・元北海道大教授と共に考えたい。

  •                   (マンガ:山井教雄)
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自粛要請は自治体から広がった

   新型コロナウイルスの感染が拡大してから、この間、政治の構図が変わりつつあることを示す兆しがいくつかあった。

   第一は、これまで中央政府の号令一下、中央官庁の指示に従って全国一律に動いてきた地方自治体が、その本来の姿を取り戻し、感染状況や地方の実情を踏まえた独自の動きを見せ始めたことだ。

   早くは2020年2月28日、当時感染者が計66人と全国最多になった北海道の鈴木直道知事が、全国に先駆けて独自の緊急事態宣言を出し、道民に週末の外出自粛を呼びかけた例だ。

   これは安倍首相による同26日の「イベント2週間自粛」、同27日の週開けから春休みまでの全国の小中高校の休校」要請と同じく、法的な根拠はなかったが、国の特措法改正や緊急事態宣言の発出に先駆けて行った自治体の要請だったという点では突出していた(道の宣言は3月19日にいったん終了)。

   3月13日には国会で改正特措法が成立するが、同24日に安倍晋三首相がIOCのバッハ会長と電話で協議し、夏季五輪を1年延期すると決めるまで、政府の対応は鈍かった。

   むしろ先に動いたのは自治体だ。大阪府の吉村洋文知事は19日、20日からの3連休に兵庫県と大阪府の不要不急の往来を自粛するよう住民に対し、異例の要請をした。この要請は、改正特措法に基づくものではなかった。

   夏季五輪の延期が決まるのを待っていたかのように東京都の小池百合子知事も同25日、「感染爆発の重大局面」だとして平日の在宅勤務、夜間の外出自粛、週末の不要不急の外出自粛を都民に要請した。翌26日には東京、神奈川、千葉、埼玉、山梨の1都4県の知事がテレビ会議で共同メッセージをまとめ、住民に不要不急の外出自粛や時差出勤、在宅勤務を求めた。また、都は神奈川、千葉、埼玉の3県に対し、都内への不急不要の移動を控えるよう求める方針を決めた。

   首都圏の動きは27日には各地に広がり、大阪府と岐阜県は不要不急の外出自粛を求め、愛知、福島県は東京など首都圏への行き来を控えるよう呼びかけた。こうして外出自粛要請は、むしろ自治体から、個別に出されて全国に広がっていったといえる。

   その後、国は4月7日に東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の7都府県を対象に1か月間の緊急事態宣言を出し、同16日に対象を全国に拡大した。その間、東京都や大阪府を中心に、国への緊急要請が相次いだ。

   8日にテレビ会議で開かれた全国知事会は、NHKで中継されたが、これも異例のことだ。全国知事会では、自粛で事業者が負った損失や軽症者・無症状患者のホテルの借り上げ費用などで国の支援を求める緊急メッセージをまとめ、国に要望した。

   東京都は同10日に休業要請する業種を明示して、2店舗以上を持つ事業者に100万円、1店舗の事業者には50万円の「協力金」を支払うことを決めた。都ほどの財源を持たない自治体の中には、「協力金は国からの臨時交付金の一部を充てる」(神奈川県・黒岩祐治知事)という案もあったが、新型コロナウイルスの対応にあたる西村康稔経済再生相は同13日の参院決算委員会で「国が自治体に配分する臨時交付金は休業補償には使えない」と、これに消極的だった。だが西村経済再生相は、緊急事態宣言が全国に拡大した後の同20日、地方自治体に配る1兆円の臨時交付金について、休業した事業者への「協力金」の体裁なら、事業者への休業支援に充てられる、と明言した。地方自治体からの切実な要求に対し、事実上、方針を転換したかたちだ。

「出口戦略」を先導した「大阪モデル」

   改正特措法による緊急事態宣言が出されると、各自治体の個性や特色、そのばらつきは顕著になった。これは改正特措法の法的な立て付けに根差している。諮問委員会の報告を得て政府は「全国的かつ急速な蔓延により国民生活、国民経済に甚大な影響を及ぼす恐れがある」と判断し、緊急事態宣言を発出し、「基本的対処方針」を決める。今回の場合は、医療体制の維持、高齢者や障害者ら支援が必要な人の保護の継続、電力・ガス、飲食店など安定的な生活の確保や、物流・輸送、行政サービスなどの維持要請がそれにあたる。

   しかし、感染の拡大防止措置を行うのは都道府県知事で、施設の使用禁止、イベントの開催制限の要請や指示の判断は知事に委ねられる。国は宣言を出して大まかな基本的対処方針を打ち出すが、実際にどのような要請や指示を出すかは、地域の首長に委ねて実態に応じた対応を取るしかない。

   ところが政府対策本部は、いったん3月28日に決めた「基本的対処方針」を4月7日に改定し、「施設の使用制限の要請、指示は国と協議」という項目を追加し、これが混乱を招いた。東京都は7日にも休業要請の対象施設を公表する予定だったが、経済への打撃を気にかけ、社会的混乱を避けたいとする国側は、業種を絞るよう注文をつけて対立した。結局、都は10日午後に休業対象を明示し、国が「生活に必需」として対象にしないよう求めた理美容業、百貨店やホームセンターなどは対象とせず、国が対象入りに難色を示したゲームセンターやマージャン店などを対象に含め、「居酒屋」については、営業時間を午前5時~午後8時に短縮し、酒類提供も午後7時までとした。「国と協議」という一文を追加して手綱を握ろうとした政府側が、地方自治体に押し切られたかたちだ。

   だが感染防止について定めた「基本的対処方針」には明確な「出口戦略」は書かれていない。政府は5月6日までの緊急事態宣言の期限が迫る4日、宣言を同31日まで延長すると決めた。自粛要請によって地元経済が深刻な打撃を受けたのを背景に、大阪府の吉村洋文知事は、これに先立つ同1日、休業と外出自粛の要請について、段階的な要請解除の独自案を打ち出した。

   続いて大阪府は5日に対策本部を開き、段階的な解除に向けた基準を決めた。これは(1)感染経路が不明な新規感染者が10人未満(2)検査を受けた人に占める陽性者の割合(陽性率)が7%未満、(3)重症病床の使用率が6割未満として、この3点を「警戒信号の消灯基準」とした。(1)と(2)は日々の変動があるため、過去7日間の平均(移動平均)を見るという。

   感染状況が悪化した場合の「再入り口」基準についても、大阪府は(1)1週間の経路不明者の平均が前週と比べて同じか増加(2)経路不明者の人数がおおむね5人以上(3)陽性率が7%という三つの基準をすべて満たすことを条件とした。これに関連して吉村知事は、政府に、「具体的な基準を示さず、単に(宣言を)延長するのは無責任」と指摘した。

   こうした「大阪モデル」のユニークさは、具体的な数値を示した点だけではない。大阪府は11日から通天閣と吹田市の万博記念公園にある「太陽の塔」でライトアップによる「信号」の点灯を始めた。これは(1)3基準のいずれも満たしていない段階は「赤」(2)3つの基準をすべて満たし、7日連続のカウントダウンが始まった段階は「黄色」(3)7日連続で基準を達成した場合は「緑」という3色で感染状況を示す試みだ。通天閣のLEDパネルには、大阪府公認キャラクターの「もずやん」の泣き笑いの表情を映し、府民に状況を伝えるという試みもしている。いずれも、住民密着型の自治体ならではの発想だろう。

   こうした「大阪モデル」に対し、新型コロナ対策を担当する西村経済再生相は5日、知事権限の範囲で解除基準を打ち出したことは「いいことだ」としながらも、吉村知事の「出口戦略」という言葉について、「言い方は違う。『出口』ということなら、国が専門家の意見を聞いて考える話だ」とクギを刺した。さらに西村経済再生相は6日にツイッターで、「休業の要請・解除は知事の裁量」としながらも、「自身の休業要請の解除の基準を国が示してくれというのは矛盾。仕組みを勘違いしているのでは」と投稿した。

   これに対して吉村知事は、「迷惑をおかけした」とツイッターで表明。「休業要請の解除基準を国に示して欲しいという思いも意図もありません」と釈明しつつ、「宣言(基本的対処方針を含む)が全ての土台なので、延長するなら出口戦略も示して頂きたかった」と注文をつけた。これは、「基本的対処方針」を改定して「国との協議」を条件にした以上、政府も「出口戦略」について実効ある基準を出すべきだという不満の表明とも受け取れる。

   西村氏は7日の記者会見で吉村知事と電話で話したことを明かし、「むしろ絆は深まった」と和解をアピールして矛先を収めた。

国はデータが不十分

   西村経済再生相が「国の権限」を前面に押し出せなかったのは、大阪府が主張するように、解除には具体的なデータや指標をもとにした基準が必要なのに、国のデータは不十分だったからだろう。

   厚労省は当初から、医療現場を守るため、PCR検査の件数を絞ってきた。国の専門家会議は2月17日に、PCR検査の必要性を相談する際には「37.5度以上の発熱が4日以上続く」などの目安を示した。だが厳しい目安のため、実際に検査を受けられる人は外国と比べても少なく、感染拡大の実態をつかめていないのでは、という疑問や批判が出ていた。

   吉村知事が問題にしたのもこの点だ。「大阪モデル」を発表した日にテレビに出演した知事は「府が毎日公表している『陽性率』は、検査件数のうち、実際に陽性になった人の数を示すだけでなく、『検査数が適正かどうか』の目安にもなる」ことを力説した。陽性率が高いのは、感染が拡大している場合だけとは限らない。症状のある人に検査を絞った結果、高止まりしたままという可能性もある。

   自粛要請解除に向けて厚労省は慌ただしく動き始める。5月8日には、PCR検査の相談目安から「37.5度以上の発熱が4日以上続く」などを削除し、息苦しさや強いだるさ、高熱などの強い症状のいずれかがある場合や、基礎疾患のある人で比較的軽い風邪症状のある人はすぐに相談する、と改めた。

   厚労省はさらに、10日付で都道府県に、PCR検査を実施できる医療機関の対象拡大を通知し、13日にはPCR検査と併用する「抗原検査」を承認した。さらに15日には、過去の感染歴を調べるために、6月にも1万人規模の抗体検査を東京、大阪、宮城で実施すると発表した。遅ればせながら、ようやく客観的データをつかむ基礎作業が本格化したというところだろう。

   政府の専門家会議は39県の宣言解除にあたって、14日の提言で、解除基準として(1)感染状況(2)医療提供体制(3)検査体制の構築を条件に挙げた。(1)は直近1週間の新規感染者数がその前の1週間を下回り、直近1週間に報告された10万人あたりの累計新規感染者数が0・5人未満程度になることを挙げた。感染が拡大する場合に再宣言する際の基準も、直近1週間の(1)10万人あたりの累計感染者数(2)感染者が2倍に増える日数(倍化時間)(3)感染経路が不明の割合を総合的に判断する、とした。

   一方、東京都も15日に段階的な緩和の基準「ロードマップ」の骨格を発表した。こちらは(1)新たな感染者数が1日20人未満(2)感染経路が不明な人が50%未満(3)週単位の倍化比率が1未満という3つの条件をすべて2週間連続でクリアした場合、重症患者数、入院患者数、PCR検査の陽性率、受診窓口での相談件数も考慮して解除を判断する、としている。

   こうした経過を振り返れば、「大阪モデル」が先例となって、具体的なデータ、具体的な指標による解除の基準を明確する動きが始まり、それが東京都や国の態勢づくりに大きな影響を与えたことがわかる。

山口二郎法政大教授が指摘する「政権の空洞化」が起きた理由

   こうした国と地方自治体の関係の変化をどう考えればよいのだろうか。

   長く北大で教えた山口二郎氏に5月15日、ZOOMインタビューでそう尋ねた。山口氏は、この変化の根底には、安倍政権のガバナンス(統治能力)の危機があり、それに対する国民の不信がコロナ禍によって増幅された結果だろうと指摘する。

   クルーズ船「ダイアモンド・プリンセス号」での感染拡大が続いた初期段階、国会での論戦の中心は、「桜を見る会」の「政治枠」や、前日の夕食会での経費をめぐる疑惑、森友学園をめぐる公文書改ざん問題で財務省近畿財務局の職員が自殺した問題の責任の所在などにあった。

   「政府が情報を公開し、国民と情報を共有し、公文書に残して検証に耐えるようにするというのは、近代の民主国家の基本動作だ。数々の疑惑を通して、安倍政権が、そうした基本動作ができていなかったことが明らかになったところに、コロナ禍が広がり、さらに政府への不信が広がった」という。

   だが、歴代最長の宰相で、「1強」をうたわれた政権が、なぜこれほど重大な危機管理で力を発揮できないのか。私がそう尋ねると、山口氏の答えは明快だった。

   それは、90年代以降の選挙制度改革で政党の求心力を高め、内閣府の強化を進めた一方で、政権中枢の立案能力が低下し、脆弱化するという「政権の空洞化」が進行した帰結だという。

   戦後日本の政治システムは、長く権力の多元的分散を基調とし、予定調和的に政策の落としどころを探るというスタイルをとってきた。経済が右肩上がりで成長する時代はそれでよかった。だがバブル崩壊と少子高齢化、人口減少の難題に直面した90年代に、日本の政界は二つの局面で統治システムを改革し、打開を図ろうとした。

   一つは94年にそれまでの中選挙区制から小選挙区比例代表制に移行し、政党交付金を導入したことだ。これによって派閥の力は弱まり、政党指導部の求心力が飛躍的に高まった。

   もう一つは90年代の橋本龍太郎政権以来続いた官邸の権限強化の流れだ。これは08年の内閣人事局の創設で加速し、官邸が各省庁の幹部の人事を掌握するまでになった。

   だがこうして政党、内閣の求心力が高まったのに、それが社会に対するグリップを強め、政策で社会を誘導する能力の強化には結びつかなかった。官僚たちは政策能力で競うよりも、「忖度」競争で内閣に取り入ろうとするようになり、経産省や警察など出身の一部の官邸側近が力を握るようになった。つまり、政権の求心力の強化と、それとは裏腹の政策能力の低下が同時に進行したのが「1強」の内実だったのではないか。

   市井の人々の苦労が分からないという点で、「アベノマスク」の配布は、今回のコロナ禍で、安倍政権の人心遊離を喜劇的に象徴する出来事だった。補正予算の経済対策の中身を見ても、政府はコロナ危機に直面する人々の苦境や希望に応えているとは思えない。そう山口氏は指摘する。

「その点でいえば、政権の無策を埋める形で自治体の首長が登場し、その指導力が住民の安心・安全に直結するという事態は、戦後初めての体験だったのではないか」

注目すべき「和歌山方式」

   だが山口氏は、メディアで注目を集める大阪府や東京都よりも、むしろ目立たないが毅然とした態度をとって住民を守る首長に目を向けるべきだという。

   その代表として山口氏が挙げるのが和歌山県の仁坂吉伸知事だ。和歌山では2月13日に済生会有田病院で医師と患者の初感染が確認されたが、県は陽性患者を別の病院に移送して隔離し、医師や患者以外の出入り業者も含む関係者470人余全員にPCR検査を実施し、陰性を確認したうえで病院を再開させた。仁坂知事は「早期発見、早期隔離、徹底した行動履歴のトレース」という「和歌山方式」を打ち出し、「体温37.5度4日間」という国の方針に公然と反旗を翻し、かかりつけ医への受診やPCR検査を進めてきた。

   山口氏は、対策がうまくいっている自治体には、首長が先頭に立って発信し、積極的に情報を公開するという共通点がある、と指摘する。

「感染やクラスター発生は住民にとって『恐ろしい情報』だが、広げないためにどうするかという対策と共に公開すれば、無用な不安を生まず、行政への信頼を培う」

   危機はリーダーの資質を浮き彫りにする。その点では、日本の自治体の首長に限らず、世界の指導者にも共通する、と山口氏はいう。

「戦争を除けば、各国政府の対応が問われるこれほどの世界的危機は、近代民主主義の歴史でも初の出来事だろう」

   米国のトランプ政権は、科学的知見に基づく政策を打ち出せず、コロナ禍を政争の具にして混乱に拍車をかけた。英国のジョンソン首相も、当初は社会的免疫を広げるという緩やかな制限で臨み、感染の広がりを許した。それに対しドイツのメルケル首相は、「民主主義のもとで行動を制約するが、ここは耐え、いずれ自由を取り戻す」という明確なメッセージを送り、沈着に沈静化を図った。韓国の文在寅大統領も、2014年のセウォル号沈没事件の教訓を生かし、迅速に対応した。

「民主的に生まれたリーダーに共通するのは、情報を積極的に公開し、市民と共有し、責任の所在を明らかにすること。それは、日本の自治体の首長に限らず、危機における世界のリーダーにも共通する」

   そのうえで山口氏は、今後は社会のインフラを支える公共サービスをどう再構築するかが大きな課題になる、という。政府与党は補正予算に景気刺激策を盛り込んでいるが、今回の問題で浮き彫りになったのは、医療、物流、運送といったインフラを担う人々や、教育、学童保育、介護といった現場で働く人々の大切さだ。

   こうした分野は、これまでの成長戦略のもとでは「安あがりに済ませる」方針で非正規化や労働環境の劣化が進められてきた。

「小泉進次郎環境相が、ごみ収集に感謝して、袋にメッセージを書くよう提案した。いいことには違いないが、政治がすべきなのは、最低賃金を引き上げ、劣悪な労働環境を改善し、尊厳をもって働けるようにすることだろう」。

   マスコミの脚光を浴びる大阪府にしても、このコロナ禍の前まで、大阪維新の会が、公共セクターのリストラを進め、医療の対応能力を弱めてきたことも含め、総合的に判断する必要がある、と山口氏は指摘する。

「この危機を通して有権者は、政治家が問題をすり替えたり、やったふりをしたりすることを、冷静に見透かしている」

上田文雄・前札幌市長「議会ないがしろの風潮が危うい」

   実際に首長を経験した人は、コロナ禍における自治体の在り方をどう見ているのか。5月12日、3期にわたって札幌市長を務めた上田文雄弁護士に会って話を聞いた。

   今回の改正特措法による非常事態宣言では、国が大きな「基本的対処方針」を決め、実際には知事が要請・指示の権限を担う。その前提で、上田氏は、「地方自治が独自色を出すのは好ましい傾向だが、それは政府が十分な情報提供をせず、あまりにだらしがないことの裏返しではないか」という。

   上田氏が市長時代に真っ先に心がけていたのは「市民自治」の原則だ。そのためには情報公開はもとより、情報を迅速に提供し、市民と共有し、熟議を徹底して市民参加を促すことが必要だ。

   そうした「市民自治」の視点でみると、今回の危機にあたって政権は、政策決定のプロセスを公開し、多様な意見を出し合うというシステムの構築には程遠いのが現状だ。

「専門家会議の議論も、それをきちんと公開し、政権外の専門家に批判の場を保障することで、初めて市民が判断できる。現状では、権威による言いっ放しの情報提供にとどまり、マスコミもそれを垂れ流すだけに終わっている」

   住民に「安全安心」を保障する自治体にとっても、科学的知見に依拠して政策を決める場合には、その知見を様々な角度から検証したうえで市民にわかりやすく説明し、納得してもらうことが大切だ。期限が限られる緊急時だからこそ、「これをやれ」というのではなく、丁寧さや根気強い説得が必要になる。

   さらに上田氏は、首長が脚光を浴びる反面、それぞれの議会の存在感が希薄なことに注意を促す。たとえば神奈川県大和市では4月16日、感染拡大を防ぐために、市民にマスク着用を求める「市おもいやりマスク条例」を制定したが、これは議会の議決を経ない専決処分だった。

   大和市の条例は強制力のない「理念」条例で、先決処分にした理由は定かではない。ただ、地方自治法は、緊急時には議会の議決がなくとも専決処分を出すことを認めているが、これはあくまで例外措置であるべきだ、と上田氏はいう。

「住民の安全を守るために、その行動や権利を制限することがやむを得ない場合にも、要請や指示の必要性や、求める施策が妥当な範囲に留まっているかどうか、チェックする必要がある。その意味で、緊急時に議会をないがしろにする風潮が広がるのは危うい」

   上田氏は、今年1月末、「道警ヤジ排除事件」をめぐる国家賠償訴訟の第1回口頭弁論に際し、弁護団長として意見陳述で次のように述べた。これは2019年7月、参院選挙運動中に札幌を訪れた安倍首相にヤジを飛ばしたとして市民が道警に排除された事件を指す。

「だれかに向かって話し、共鳴したり批判したりすることは、社会的な『表現の自由』のみならず、自分の思想や内心を豊かにするという点で、『内心の自由』にも繋がっている」

   権力は、人々を説得し、その批判にさらされることで初めて施策を実行できる。それが民主主義の原則であるべきだ。しかし、「自粛」によって批判の場が失われ、「内心の自由」さえ奪われるようになれば、権力に対する抵抗力が弱まり、権力の専横を招くことになる。「危機における民主主義」の原則を見失えば、「民主主義の危機」になりかねない。上田氏はそう警告する。

森啓・元北大教授「中央政府と自治体は横に補完し合う関係」

   森氏は神奈川県職員として長く働き、自治総合研究センターの研究部長として自治体交流を呼びかけ、「日本自治体学会」の創設者の1人になった。一貫して「官治・集権型」の地方自治を「自治・分権型」に転換するよう提唱し、まちづくりや情報公開、環境アセスメント、政策評価などの動きを後押ししてこられた。北海道に移ってからも、1990年から16年間にわたって職員や市民が地方自治の在り方を学ぶ「北海道土曜講座」を開いてきた。5月17日、その森氏に電話で話を聞いた。

   森氏の答えは明快だった。

「今の日本で問われているのは、自治体は、住民の命と暮らしを守るために、何を根拠に、どこまで施策を打ち出していいのか、という問題だ。私は、その根拠はあるし、独自の施策を打ち出していい、むしろやるべきという考えだ」

   森氏はその「根拠」を二つ挙げた。第一は、橋本政権下の1996年12月6日の衆院予算委員会で、当時の大森政輔・内閣法制局長官が、菅直人議員に対して答えた内容だ。大森長官は「行政権は、内閣に属する」という憲法第65条の意味について、「行政権は原則として内閣に属する。逆に言いますと、地方公共団体に属する行政執行権を除いた意味における行政の主体は、最高行政機関としての内閣である」と答弁した。森氏は、この答弁によって、従来は上下の関係にあるとされた中央政府と自治体が、横に補完し合う関係として認められた、と指摘する。

   第二の根拠は、2000年に施行された「地方分権一括法」だ。これによって、国の機関委任事務は廃止され、国と地方自治体は法的にも上下関係ではなく、対等・協力の関係に切り替わった、と森氏は言う。もちろん、財源が乏しく、実質的には中央政府の力が圧倒的に強いのが現実だ。国の方針に盾突けば、国から、しっぺ返しをされる恐れもある。

   しかし、今回のように国の対応が後手に回り、行政の責任者が緊急事態宣言の基準を明確に示せない場合は、北海道のように独自に宣言を発したり、大阪府のように独自のモデルを示したりすることは、やってもよいし、やるべきだ、と森氏は言う。

「自治体によっては、国からの指示待ちが習い性になっているところもある。しかし、命と暮らしを守る緊急事態の場合は、憲法8章の地方自治の本旨に即して責任と義務を果たすべきだろう。国レベルの全国基準を尊重する必要はあるが、地域には独自の事情や条件、環境がある。都道府県、市町村それぞれが、地元の大学と連携し、専門家や有識者と相談しながら、きめ細かな実効ある基準を打ち出して競い合い、感染防止に役立ててほしい」

   コロナ禍は、この国にとって、あるいは「民主主義の危機」と、「民主主義の新たな可能性」の分岐点になるかもしれない。3人の話を伺って、そう思った。

ジャーナリスト 外岡秀俊




●外岡秀俊プロフィール
そとおか・ひでとし ジャーナリスト、北大公共政策大学院(HOPS)公共政策学研究センター上席研究員
1953年生まれ。東京大学法学部在学中に石川啄木をテーマにした『北帰行』(河出書房新社)で文藝賞を受賞。77年、朝日新聞社に入社、ニューヨーク特派員、編集委員、ヨーロッパ総局長などを経て、東京本社編集局長。同社を退職後は震災報道と沖縄報道を主な守備範囲として取材・執筆活動を展開。『地震と社会』『アジアへ』『傍観者からの手紙』(ともにみすず書房)『3・11複合被災』(岩波新書)、『震災と原発 国家の過ち』(朝日新書)などのジャーナリストとしての著書のほかに、中原清一郎のペンネームで小説『カノン』『人の昏れ方』(ともに河出書房新社)なども発表している。

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