緊急事態宣言が全国に拡大してから、外出自粛の日々が続いている。出勤を控え、テレワークに移行した人も多いだろう。だが、「自粛」が「萎縮」になってはいないだろうか。海外の大学やシンクタンクの活動を見てそう気づき、地元のテレビ会議に参加して、改めてコロナ禍のなかで活動を持続することの大切さを感じた。
英の大学・研究機関などの発信
そのサイトを見た時に、衝撃を受けた。
英国の大学、「ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)」のホームページだ。
同校はロンドン大学に属する社会科学系の大学で、とりわけ経済学ではノーベル賞の受賞者を輩出するなど評価が高い。
ホームページは普段通りだが、その中にある「COVID-19 LSEリソース・センター」の入り口をクリックすると、いきなり「新型コロナウイルスへの社会科学の対応をリードする」という標語が現れ、その下に「LSEの公共政策部門は、新型コロナに対する社会科学政策を導き支援するため、主要な考えをまとめてきた」とうたっている。
ここにいう「社会科学」とは、経済学、財政学、社会学、政治学、公衆衛生学、心理学、行動科学など、幅広い分野だ。つまり、政府、非政府組織が新型コロナウイルスへの対応策を練るに当たって必要になるデータやファクト、政策提言を、大学の総力を挙げて結集するという宣言なのだ。
実際、その下に並ぶ様々な調査報告やデータ、政策提言は、この間LSEの教員らが、いかに未知の新型コロナに立ち向かってきたのかを物語って余りある。
ある報告書は、数学者の協力を得て、新型ウイルスの調査について数理モデルを提起し、別の調査報告は感染による死者の発生場所や年齢別データを提供している。経済学者が、行動制限解除にあたって政府が考えるべきことを提言するかと思えば、政治学者が、政治家と専門家の関係について論じる。「政治家はパンデミックにおいてすら、科学者の陰に隠れることはできない」という論文は、「政治家が専門家の助言を無視するのは危険だ。しかし、誤りの余地が大きく、議論のある問題で、判断を専門家に丸投げするのは同じように危うい」と説き、「相反する条件の下で、最終的に厳しい決断を下すのは政治家の仕事なのだ」と警告している。
私が今回のコロナ禍でのLSEの活動に興味を持ったのは、2020年4月13日付けの英紙ガーディアン(電子版)が掲載した「死者の半数が介護施設で亡くなる EUのデータが示唆」という長文記事だった。
それによれば、仏、伊、スペイン、アイルランド、ベルギーの様々な公的統計をLSEの学者グループが解析したところ、42~57%の死者が介護施設でなくなったという。介護施設における感染拡大に注視を促す貴重な調査報道だったが、これもLSEの研究がなければ成り立たなかったろう(ちなみに英国では4月29日から死者の集計方法を改め、医療施設のほかに介護施設での感染死を加えるようになった。その結果、死者数は4千人以上増えて2万6000人超となった)。
社会科学系の大学が、危機にあたって総力を挙げる。それを「当たり前」と受け取る人も多いだろう。社会科学は、そうした時のために存在意義があるのだから。でも、果たしてそうなのだろうか。私がLSEのサイトに「衝撃」を受けたと書いたのは、その「当たり前」のことを、私がすっかり忘れていたことに気づかされたからだった。
英国では、LSEに留まらない。ロンドン大学キングス・カレッジは、サイトに「新型コロナウイルスとの闘いに対するキングスの貢献」という特設欄を設けている。またオクスフォード大も、「本学の研究者は、新型コロナを理解し、我々のコミュニティーを守るグローバルな試みの最前線に立つ」として、数多くの分析や調査を発表している。そこには医学的なテーマだけでなく、「欧州の多くの国ではベーシック・インカムを保証している」といった社会分析や、「コロナ禍における子育てのストレス」についての助言など、テーマは多岐にわたっている。
大学だけではない。世界情勢を分析するシンクタンクとして名高い王立国際問題研究所(チャタムハウス)のサイトは、世界各地の新型コロナの感染状況や影響について論文やコメントを掲載し、王立防衛安全研究所(RUSI)のサイトは、新型コロナが安全保障や防衛、あるいは広く社会にどのような影響を与えるかについて、多数の論文やコメントを掲載している。