23歳以下の選手は飲酒、タバコ禁止
野村氏は独自の視点から戦略を練り、ヤクルトを常勝軍団に育て上げ、選手の人間性の育成にも力を注いだ。当時、若者の間で流行していた茶髪、長髪を禁止し、髭を生やすことも嫌った。その一方で選手のTV出演を推奨するなど、ヤクルト時代は野村氏ならではの育成法が話題となった。
「南海時代、野村さんは選手の髪型などにはうるさくなかったです。ただ、23歳以下の選手には飲酒、タバコを禁じました。ヤクルトでは茶髪などを禁じており、社会人としてしっかりとした人間になってほしいとの思いがあったのでしょう。選手の身だしなみには厳しかったですが、選手がテレビに出演することには賛成で、むしろ推奨していました。プロ野球選手はお客様あってのものですから、プロであるからにはテレビに出てお客さんに見てもらうのも仕事のうちだと。マスコミにもどんどん出なさいという考えを持っていました」(松井氏)
野村氏はヤクルトの監督を退任後、阪神、楽天の監督を歴任。阪神では3年間、チームの指揮を執り全て最下位に終わり、楽天ではリーグ2位が最高成績だった。
「阪神時代は野村さんの力になれなくて反省しています。野村さんの野球は環境によって浸透するまで時間がかかります。阪神時代は時間がなかったと感じています。野村さんと共に阪神に移籍した初年度、ヤクルトと対戦した時、ヤクルトは野村さんが目指していた野球をやっているなと感じました。選手それぞれ自分がやるべきことを自分で考えてプレーしていました。阪神のベンチにいながら強く感じました」(松井氏)