国鉄スワローズとして1950年にプロ野球のセ・リーグに加盟したヤクルト。これまで多くの名選手を輩出し、7度のリーグ優勝、5度の日本一を達成した。近年はヤクルトからMLBに移籍する選手がみられ、セ・リーグの中でも人気球団として知られる。J-CASTニュース編集部は、ヤクルトOBで楽天の元ヘッドコーチである橋上秀樹氏(54)を取材し、歴代のヤクルトベストナインを選出してもらった。
「強い球団だったら間違いなく200勝以上は...」
ヤクルトの先発投手で橋上氏がベストナインに選出したのは、1970年代を支えたエース・松岡弘氏(72)だ。松岡氏はヤクルト(サンケイアトムズ、アトムズ時代含む)一筋で、通算191勝を記録した大エース。沢村賞、最優秀防御率の実績を持ち、長きにわたってヤクルトの投手陣をけん引してきた。
「私が高卒で入団し、まだ捕手をやっていた時に2軍でバッテリーを組ませていただいたことがあります。松岡さんは晩年でしたので、全盛期のような投球は出来ませんでしたが、ものすごいオーラがありました。本格派の投手で当時、強くなかったヤクルトで191勝していますので、強い球団だったら間違いなく200勝以上はしていると思います。私の中ではナンバーワンの投手です」(橋上氏)
救援投手は、ヤクルト、ホワイトソックスなどで活躍した現ヤクルト監督の高津臣吾氏(51)だ。NPBで286セーブを記録し、MLB、韓国リーグ、台湾リーグでもセーブをマーク。NPBでは4度の最優秀救援投手に輝いている。
「緊張を楽しんでいるように見えました」
「高津投手は制球が安定しており、フォアボールで自滅するようなタイプではありませんでした。野手からの信頼も厚かったです。高津投手は性格的に救援に向いていたと思います。緊迫した場面に強く、緊張を楽しんでいるように見えました」(橋上氏)
捕手に関して橋上氏は「大矢(明彦)さん、八重樫(幸雄)さんがいらっしゃるので迷いましたが古田選手です」と話した。古田敦也氏(54)は現役時代、「ID野球の申し子」といわれ、首位打者、最多安打、ゴールデングラブ賞など多くのタイトルを獲得。また、日本プロ野球選手会の会長を務め、2006年からは選手兼任監督としてチームの指揮を執った。
「古田選手は温厚そうにみえて芯が通っている。当時、リーグを代表するような大打者に厳しいインコース攻めをした捕手は、自分の打席の時に厳しいコースで攻められました。ですから普通の捕手はひるんでしまいます。それでも古田選手は反骨心が強く、決してひるむことはありませんでした。ああみえて、とても熱い男なんです」(橋上氏)
「これがプロの野球選手なんだと思いました」
内野手は、1塁手に広沢克己氏(58)、2塁手は現役の山田哲人内野手(27)、3塁手は岩村明憲氏(41)、遊撃手は宮本慎也氏(49)を選出した。
「ファーストは広沢さん、オマリー、ペタジーニが候補でしたが、ヤクルトの在籍年数を考えると広沢さんだと思います。セカンドはやはり山田選手でしょう。今までヤクルトには印象的なセカンドがいませんでしたが、山田選手は実力的にもベストだと思います。サードは岩村選手とハウエルで悩みましたが、こちらもヤクルトの在籍年数を考えて岩村選手にさせていただきました。ショートは、私と同期の池山選手としたかったのですが、成績、リーダーシップといったところで宮本選手です」(橋上)
最後に外野手の3人を選出してもらった。橋上氏が選出したのは、「小さな大打者」若松勉氏(73)、青木宣親外野手(38)、ウラディミール・バレンティン外野手(35)の3選手。現役からは青木、バレンティンの2選手が選出された。
「若松さんはなんといってもバットコントロールが巧みで、どのコースでもほぼ芯でとらえていました。あの体で普通にスタンドに運んでいましたから。これがプロの野球選手なんだと思いました。ヤクルトの中では松岡さんと同じようなオーラを感じました。本当ならば、青木選手、バレンティン選手と並んで稲葉選手(篤紀)も入れたかったのですが、3人に絞るとなると、このような結果になりました」(橋上氏)