日本国憲法は「強姦によって生まれた私生児」だ、しかし... 宮澤喜一氏がオフレコで語った「護憲」の理由

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GHQが草案を書いたのは「まことに不名誉なこと」

   「完全オフレコ懇談」では、きわめて直接的な表現で、大きく(1)占領下で受けた屈辱(2)憲法の「出自」への評価(3)9条制定の経緯(4)改正の是非、といった点に言及したことになる。そのうち(1)(2)(4)については、その後のインタビューや対談で、比較的穏やかな表現で繰り返し言及している。

   例えば、(1)については、1994~95年にかけて行われたインタビューをまとめた「新・護憲宣言―21世紀の日本と世界」(1995年、朝日新聞社)で、

「占領というのは政府はもちろん、国会から何からすべて占領軍の指令によって動くわけで、こんな屈辱的な経験は二度とやりたくないと思います。ときどき後藤田さん(編注:官房長官などを歴任した後藤田正晴氏)と、『当時の屈辱を実感として記憶している人間が少なくなっていきますね』という話になります」

と言及している。

   宮澤・中曽根両氏は1997年4月に、憲法をめぐって論戦を交わしたこともある。その様子を収めた「憲法大論争 改憲vs.護憲(朝日文庫)」(2000年、朝日新聞社)によると、憲法問題調査委員会の松本烝治委員長が示した日本側の原案が連合国軍総司令部(GHQ)側に一蹴され、逆にGHQ側が草案を出してきたことを念頭に、(2)の論点にも言及した。

「それであっちに行ったりこっちに行ったり、1ヶ月ぐらいの間に松本さんがつくった案は拒否され、いろんなことがあって憲法ができてしまうわけですね。ですから、文字どおり、日本国民が自分の総意でつくった憲法ではありません。それはもう確かにその通りで、自分はそういうことを体験しています」
「1946年2月初めにマッカーサーからいろいろなことを言ってきたことは、知っていました。それで結局、我々の手ではなく彼らの手によって草案が書かれた。それはまことに不名誉なことですが、できたものを日本語で見て、私はこれは日本語ではないと思いました」
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