「大魔神の1敗」が横浜ナインを奮い立たせた 齊藤明雄氏の振り返る「38年ぶり日本一」

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   1998年、スポーツ界に「横浜旋風」が巻き起こった。年始の箱根駅伝では、神奈川大学が2年連続2度目の優勝を飾り、全国大学ラグビー選手権では関東学院大が優勝。高校野球では、松坂大輔(現西武)率いる横浜高が春・夏連覇の偉業を達成。そしてプロ野球では横浜ベイスターズが38年ぶりの日本一に輝いた。J-CASTニュース編集部は当時、横浜ベイスターズの1軍投手コーチを務めていた齊藤明雄氏(65)を取材し、日本一までの道のりについて話を聞いた。

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大きかった「マシンガン打線」の恩恵

   横浜ベイスターズの98年の成績を振り返ると、79勝56敗1分け、勝率.585で2位・中日に4ゲーム差をつけてリーグ優勝を果たしている。球団史上最強と言われる「マシンガン打線」に野村弘樹、三浦大輔、斎藤隆、川村丈夫ら先発陣の充実、豊富な中継ぎ陣を誇った。そして絶対的守護神、「大魔神」こと佐々木主浩が最後を締めくくり、「勝利の方程式」が成立した。

   齊藤氏は98年に優勝した要因のひとつとして「大きな連敗をしなかったこと」と振り返り、次のように続けた。

「前年(1997年)のシーズンは2位で終えています。やはり悔しかったですね。選手は私以上に悔しい思いをしたことでしょう。この悔しさ、優勝のチャンスを逃したことが98年の飛躍につながったと思います」(齊藤氏)

   当時、1軍の投手コーチを務めていた齊藤氏は、投手陣の充実ぶりを指摘しつつ、「マシンガン打線」の恩恵が大きかったという。

「常に攻めの投球に徹することが出来ました」

「投手陣が結果を残すことが出来たのは、打線の援護が大きかったと思います。あの強力打線ですから、投手は7回までに4点くらいで抑えれば打線がそれ以上、点を入れてくると信じていましたので、精神的に楽だったと思います。だからこそ攻めの投球が出来ました。投手陣は逃げの投球をせず、常に攻めの投球に徹することが出来ました」(齊藤氏)

   チームは4月、5月と3位につけ、6月に入ると「マシンガン打線」が火を噴き一気に首位の座に。7月8日からはオールスターを挟んで10連勝(1分け含む)をマークし、首位固めに入った。齊藤氏は、守護神・佐々木の2年ぶりの黒星がこの10連勝を呼び込んだという。

   1998年7月7日、大阪ドームでの対阪神戦。横浜の1-0で迎えた9回、マウンドには佐々木が立った。ヒットと四球で2死1、2塁の場面で打席には矢野燿大(現阪神監督)が。佐々木のストレートを捕らえた矢野の打球は前進守備のセンターの頭上を越えていった。2人のランナーが生還し1-2のサヨナラ負け。佐々木の黒星は実に675日ぶりだった。

   翌日の8日、対阪神戦で前日(7日)と同じく横浜が1-0でリードした9回、佐々木がマウンドに上がった。1死2塁、1打同点の場面で前日サヨナラ打を放った矢野が打席に立った。矢野の打球は快音を残して三遊間へ。この打球を進藤達哉3塁手がスーパーキャッチし、横浜が勝利した。この日から横浜の快進撃は続き、1分けを挟んで10連勝を記録した。

「運よく試合が雨で中止になりました」

「あの年、佐々木投手が負けたのは阪神戦の1敗だけでした。シーズン序盤は完ぺきに抑えていましたから。リリーフエースの1敗に、野手、投手に関わらず選手は期するものがあったと思います。オールスター前後の一番苦しい時期に10連勝出来たのは、非常に大きかったですね」(齊藤氏)

   38年ぶりの日本一は、天をも味方につけた。齊藤氏は「移動日の翌日のホームゲームで雨天中止になることが多かったと記憶しています。ちょうどローテーションの谷間であったり、投手陣に疲れが見えたりした時に運よく試合が雨で中止になりましたね。横浜は雨の時に無理して試合をすると連敗するという伝統的な球団ですから、98年は天候運にも恵まれました」と振り返った。

   西武との日本シリーズでも「恵みの雨」が降った。10月17日の初戦が雨天中止になり翌日18日にスライド。横浜の2勝で迎えた第3戦目の21日も雨天中止で翌日にスライドした。

「何としても6戦目で決めたかった」

「3戦目の雨天中止は大きかったですね。投手陣を休ませることが出来ましたから。結果は6戦目で勝負がつきましたが、横浜は苦しい立場にいました。6戦目は川村投手が先発し、これを落としたら次の7戦目は総動員でいくつもりでした。西武も総動員で来たでしょうが、投手陣でいえば西武の方が、余裕がありました。ですから何としても6戦目で決めたかった」(齊藤氏)

   大矢明彦監督が97年に退任し、98年に権藤博氏が監督に就任。齊藤氏は大矢監督と権藤監督の共通点を上げ、次のように語った。

「大矢監督がチームの土台を築き、権藤監督が総仕上げをしたと思います。大矢監督、権藤監督ともに練習においては細かいことは言わず、選手の自主性に任せていました。そういった意味では、優勝をした年は、選手それぞれが大人の野球を出来るようになったと思います。私はコーチとして優勝させてもらいましたが本当に良い思い出になっています。あの盛大な優勝パレードの感動は今でも忘れられません」(齊藤氏)
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