「大魔神の1敗」が横浜ナインを奮い立たせた 齊藤明雄氏の振り返る「38年ぶり日本一」

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「何としても6戦目で決めたかった」

「3戦目の雨天中止は大きかったですね。投手陣を休ませることが出来ましたから。結果は6戦目で勝負がつきましたが、横浜は苦しい立場にいました。6戦目は川村投手が先発し、これを落としたら次の7戦目は総動員でいくつもりでした。西武も総動員で来たでしょうが、投手陣でいえば西武の方が、余裕がありました。ですから何としても6戦目で決めたかった」(齊藤氏)

   大矢明彦監督が97年に退任し、98年に権藤博氏が監督に就任。齊藤氏は大矢監督と権藤監督の共通点を上げ、次のように語った。

「大矢監督がチームの土台を築き、権藤監督が総仕上げをしたと思います。大矢監督、権藤監督ともに練習においては細かいことは言わず、選手の自主性に任せていました。そういった意味では、優勝をした年は、選手それぞれが大人の野球を出来るようになったと思います。私はコーチとして優勝させてもらいましたが本当に良い思い出になっています。あの盛大な優勝パレードの感動は今でも忘れられません」(齊藤氏)
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